銅像建立に反対運動が起きた
そう義光は大河ドラマ以前から、山形人自身の手によって貶められていたのである。
そのことに気づいた現代の人々は、これを必死に否定しようとしている。
現在山形市内にある最上義光歴史館(山形市出資による公益財団法人が運営)のサイトでは、項目を用いて、こうした市史の記述を批判。そこには市史の影響力は大きく、山形城に義光の銅像が建立される際には反対運動まで起きたと書いてある。
そんな山形人すら嫌悪する義光。それでも、市史で書かれている程度なら「地元の恥」程度ですんでいただろう。しかし『独眼竜政宗』の大ヒットが事情を変えた。これによって、義光=悪人説は全国に波及。それこそ山形と聞けば「ああ、あの悪人の‼」というイメージが定着してしまったのだ。
ここに来て、ようやく山形の人々は反省をはじめた。こうした間違った義光のイメージを覆さなくてはいけない。そのためには……大河ドラマだ‼ という結論に到ったのだ。
山形市議会で指摘「18カ所に修正を加える必要」
その大きなきっかけとなったのは、2009年の大河ドラマ『天地人』である。直江兼続を主人公とした、この作品で義光は兼続のライバルとして描かれる可能性が強かった。またぞろ『独眼竜政宗』のような悪人として描かれるのではないかということは、政治的な問題にもなっていた。2008年の山形市議会12月3日定例会では、後藤誠一市議がこんな発言をしている。
現在の山形市史は、東北大学教授の豊田武先生の監修によるもので、昭和46年3月、金澤元市長のときに発行されております。
これまでの歴史ドラマの時代考証は、恐らくはこの山形市史を参考にしたと思われるところが多いと言われますが、最上義光歴史記念館(註:原文の通り)の元事務局長で、最上義光の研究で知られる片桐繁雄先生は、この市史の中で、最上義光の人物像に関した記述にはおよそ18カ所に修正を加える必要があると述べられております。
そして、市史の編集から38年たつわけですが、その間に、義光が編さんした、往時の戦国武将としてはほかに例のない「連歌集」のほか、多数の直筆書簡も見つかり、最上義光像が改めて見直されようとしております〔市議会議事録より平成20年 12月定例会(第3号12月3日)〕。

