NHKに要望、「名君」イメージづくりが本格化

市議会で取り上げられるほど市史をベースにした記述の被害の大きさは問題になっていた。

これを踏まえて同月には山形市内で今井義典NHK副会長(当時)らと県や関係市町村による懇親会が実施され、義光の描き方についての要望を行っている(「朝日新聞」2009年1月3日付朝刊)。

『天地人』において、義光が上杉軍と戦う1600年の慶長出羽合戦が描かれるのは、必然。ゆえに2008年中から山形県内各地では『天地人』を警戒し対抗しようとする動きが激化している。2008年4月には最上義光歴史館が「もし時代劇に最上義光を登場させるなら誰に演じてもらいますか?」の投票結果を発表。第一位は高橋英樹という結果になっている(「山形新聞」2008年4月4日付朝刊)。

さらに、同年中には家臣が義光の生涯をまとめた『最上記』の現代語訳も刊行(「山形新聞」2008年4月8日付朝刊)。とにかく義光は山形城と城下町を築いた名君であり、連歌の才能にも長けた文化人であったという新たなイメージづくりが、本格化している。

ついには、2009年からは最上義光歴史館の入場料も無料化し『天地人』効果による入館者増加をさらにブーストさせることとなった(「山形新聞」2009年4月8日付朝刊)。

長谷堂合戦図屏風(部分)
長谷堂合戦図屏風(部分)(写真=最上義光歴史館/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)

1994年発見の手紙で「毒殺未遂」が否定された

この『天地人』以降、確かに義光のイメージは好転し始めている。とりわけ大きいのは『独眼竜政宗』で描かれた政宗の毒殺未遂そのものが否定されたことだ。

元仙台市博物館館長・佐藤憲一は、1994年に発見された虎哉和尚の手紙をもとに「貞山公治家記録」の記述を検証し、義姫の山形出奔が定説とされてきた天正18年(1590年)ではなく文禄3年(1594年)であることを突き止めた。毒殺未遂の直後に出奔したという定説の時系列が根本から崩れる。しかも事件後も義姫と政宗は親しく文を交わしており、朝鮮出兵中の政宗に義姫が現金と和歌を送り、政宗が感激して返書を書くという母子の情愛が一次史料から確認できる。毒殺を企てた母親と、殺されかけた息子の関係ではない。

佐藤は最終的に「母による政宗毒殺未遂事件はなかったし、政宗による弟小次郎殺害もなかった」と結論づけ、この事件は小田原参陣という伊達家存亡の重大局面を前に、政宗と義姫が共謀して演じた「狂言」だったと論じている(佐藤憲一「続・伊達政宗毒殺未遂事件の真相」最上義光歴史館『歴史館だより』No.30、2023年3月)。

つまり独眼竜政宗が描いた「義姫=悪女、最上=やばい一族」という構図は、史実として成立しない。しかもこの研究成果を最上義光歴史館が「多くの山形市民の要望により」積極的に普及させている。40年越しの怒りが、ようやく証拠を手に入れたのだ。