うわさの的は“歓待”された
知恵を出したのは、中学2年の弟・薫である。父の実家にあたる高森の宇野本家へ申込書を持って行き、分家を紹介してもらう。そうすれば、一度に10枚でも20枚でも申し込みが取れる。千代は早速、出かけていった。
ちょうどそのころ、本家にはうわさが届いていた。千代が小学校の職を失い、朝鮮へ渡ったという話である。当の千代は、自分がうわさの的であることを忘れている。平気で申込書を差し出した。
「私に対する人々の好奇心が強ければ強いほど、私は歓待され、容易に目的を達することが出来た、ように見えたのであった。」
ドラマの珠は、うわさのせいで働き口を断られ続ける。自伝の千代は、うわさを聞いた人々の好奇心に迎えられた。評伝によれば、本家の伯父は親類への紹介状まで書いているというから驚きだ。
収入は少しずつ入ってきた。家に、久しぶりのにぎやかな笑い声が戻る。ある夕方、千代は弟妹を連れて、河原の屋台へ氷を食べに出かけた。懐には、わずかだが金がある。弟妹がねだるのは、甘く煮た小豆に氷を山盛りにして、赤い砂糖水をかけた金時だ。氷のなかで、いちばん値の張るものだった。弟妹たちは、姉の懐に金があるのを知っていてせがむのだ。そう思うと何とも言えず幸せだった、と千代は書く。大きな声で頼んだ。
「金時を六つ。おばさん、金時を六つでよ」
嫁いだ家のことはもう忘れていた
そこへ声がかかった。女学生のころ、10日ほどだけ嫁いだ家の伯母である。その家に嫁いだことなど、千代のほうは、とうに忘れていた。
「ああたらも金時かいの、そいじゃ、こっちも金時じゃ。おばさん、金時を八つ。銭は一緒にわしが払うけえのう」
伯母の腰掛けには、学生帽の若者が座っていた。かつての夫の弟、藤村忠である。ドラマの保(ドラマでは演・金子大地)と同じく、京都の第三高等学校(三高)に通っていた。
実際、金時八つ分は、伯母が払った。家に帰ってから、妹の薫が言った。
「銭を一緒にあっちで払うたけえ、姉さまの銭が減らんで宜かったのう」
子どもたちは一緒になって笑った。包丁を帯に挟んで山道を歩いた夜と、同じ夏のことである。
【参考文献】刑部芳則『宇野千代 昭和モダニズムの伝道者』(NHK出版新書)、宇野千代『生きて行く私』(角川文庫)
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