NHK連続テレビ小説「ブラッサム」主人公のモデルで作家の宇野千代(1897~1996年)は、恋多き女性だった。フリーライター・四條たか子さんの著書『宇野千代 その言葉と人生』(宝島社)より、3人目の夫である尾崎 士郎と、『檸檬』で知られる小説家・梶井 基次郎をめぐる複雑な関係性を紹介する――。
宇野 千代
宇野 千代(写真=『決定版 昭和史 第4巻』毎日新聞社、1984年9月30日/PD-Japan-oldphoto//Wikimedia Commons)

夫・尾崎士郎と川端康成の出会い

「わたしは梶井さんに恋愛感情を持っていないと思っていましたからね。しかし、とても好きで尊敬していましたから」
(『宇野千代振袖櫻ちょっと自伝』より)

1923(大正12)年、千代と暮らし始めた尾﨑士郎は、雑誌『我観』に小説「凶夢」を発表した。10月26日付の『時事新報』でこれを高く評価したのが東京帝国大学の学生でありながら、文芸評論家として活躍していた川端康成だった。

大いに喜んだ尾﨑は1歳下の川端と親しくなり、1927(昭和2)年2月、川端に誘われて初めて湯ヶ島(静岡県伊豆市)を訪れた。川端が尾﨑の勧めで馬込へ移り住んだのはこの翌年である。

名だたる作家が伊豆湯ヶ島に集った

1918(大正7)年、川端はまだ一高生だった時代に初めて湯ヶ島を訪れ、その時の体験をもとに1926(大正15)年、『文藝時代』に「伊豆の踊子」を発表して作家としての地位を確立し、この頃は『伊豆の踊子』の単行本の校正を進めていた。

千代は尾﨑と一緒に湯ヶ島を訪れ、川端に引き合わされた。

「(川端康成は)一種老成した風格があって、めったに話し合ふこともありませんでしたが、笑ふと思いがけなく稚い表情があって、人懐っこい感じがしたのを覚えてゐます」(『私の文学的回想記』より)

馬込文士村の広津和郎、萩原朔太郎らも湯ヶ島を訪れるようになった。川端、千代と尾﨑、広津らの定宿は湯本館、萩原は落合楼だった。旧知の芥川龍之介が7月24日、睡眠薬を飲んで自死したことを知ったのも湯ヶ島滞在中だった。