NHK連続テレビ小説「ブラッサム」主人公のモデルで作家の宇野千代は、4度結婚したが、そのほかにも多くの恋をした。フリーライター・四條たか子さんの著書『宇野千代 その言葉と人生』(宝島社)より、1度目の短い結婚と、その後に起きた苦いエピソードを紹介する――。
伯母の登場で初めて生母を知る
「それにしても、暗い道を雄一(亮一のこと)と一緒に帰って来たことの刑罰として、嫁入りさせるのだという架空の設定は、どこから出たものであろう」
(『生きて行く私』より)
(『生きて行く私』より)
1910(明治43)年4月、千代は玖珂郡立岩国高等女学校(現・山口県立岩国高等学校)に進学した。校舎まで錦川の西岸を歩いて通い、錦帯橋の四季に心を慰められた。
女学校2年の夏、帰り道にある駄菓子屋の女店主から「伯母さまが待っておいでやすよ」と声をかけられた。
「私はお前のお死にたお母の姉さあでよ」と話し始めた女の話で、千代は初めて自分がリュウの実の娘ではなく、トモという生母がいたことを知った。生母の実の姉の名は藤村カツであった。
千代は伯母に会ったことを誰にも話さなかったが、間もなく俊次から「これから藤村の家へ遊びに行け」と命じられた。千代は父の真意がわからないまま、臥龍橋を渡った先の、鉄砲小路にあると聞かされていた藤村家に向かった。
14歳、父の命令で従兄弟と結婚
カツの夫は岩国地方裁判所の書記で、岩国中学校に通う17歳の亮一、15歳の忠という息子がいた。千代は初めて従兄弟の存在を知り、家族全員が大きな食卓を囲んで談笑する、藤村家の明るい雰囲気にとまどった。
その日、千代は亮一に送られ、無言のまま帰宅した。亮一が足早に駆け去ると俊次が姿を現し、「おどれ、こんとに暗うなるまで、よう男と歩いとったな」と怒鳴りながら千代の頬を打った。
「理由は分からないながら、私は父を恨むどころか、父の言葉をそのままに承認した。私は暗くなってから、男と一緒に歩いた、と承認した」(『生きて行く私』より)
その後、俊次は千代を亮一の嫁に迎えたいという藤村家の申し出を即決した。

