美しくなった千代が一目惚れした相手

「この失恋を皮切りに、私はそののちも、しばしば失恋した。そしていつのときでも、抗うことなく、自分の方から身を引いた」
(『生きて行く私』より)

リュウは義済堂(岩国藩士救済機関)の製糸工場で働いたり、野菜を育てて売ったり、家財を処分して家計を支えた。師範学校を出ていない千代は正式な教員にはなれなかったが、月給8円は家族の暮らしの大きな助けとなった。

間もなく千代は小学校の前で文房具店を営んでいた祖母・ミヱの勧めで一人暮らしを始めた。

ある日、千代は家の風呂場に置いてあったリュウの白粉おしろいを兎毛刷うさげばきではたき、初めて化粧をしてみた。父が心配するほど色黒だった千代は見違えるほど美しくなり、一躍注目の的となった。学校には校庭で体操を教える千代を一目見ようと若者が集まり、借家に忍んで来る不届き者も現れた。

「世間の人々は私に騙されている。私のこの顔は、あの兎の足によって作られた、化け物であると言うことを知らない」(『生きて行く私』より)

千代は文学好きの仲間7人で海鳥社を設立、回覧誌『海鳥』を発行して小品や詩、短歌などを発表したが3号で終わった。千代が「髭の剃り跡の青い」新任教員に一目惚れしたからである。

熱愛がバレて論旨解雇、そして朝鮮へ

仕事を口実に二人きりで過ごし、相談と称して住まいを訪ね、煮物や手縫いの座布団を届け、授業中に書いた手紙を児童に届けさせたこともあった。

二人の関係はすぐに噂になり、ほどなく千代は校長に呼び出され、諭旨免職を告げられた。

千代は男性教員に処罰が及ばなかったことに安堵した。どこか遠い所へ行かなければならないと考えた末、リュウに心配をかけまいと「来学期から京城(ソウル)で働く」と伝え、錦川河口の新港から船で下関へ向かった。女学校時代の作文教師で京城で働く大池房代を頼るつもりだった。

大池は『朝鮮及満洲』の出版社の社長宅に住み込み、家庭教師をする仕事を探してくれた。千代は空いた時間に雑誌の予約を取る仕事も始め、毎夜のように男性教員に長い手紙を書いた。

待ち焦がれた返信には住所がなく、「山間やまあいの小学校に転勤した私を助けると思って、もう手紙は出さないでくれ」と記されていた。