「どうして戻った」と突き飛ばされ…
千代は母が病気だと偽り、すぐに下関に向かった。山陽線の電車を待つ間、朝鮮土産を買って来なかったことに気づき、商店街で小さな出刃包丁を買い求めた。
8月の強い日射しの中、千代は岩国駅から男性教員が転勤した山村まで歩き、小学校の小使に彼の住まいを教えてもらった。
「いま朝鮮から戻りました」と声をかけると、「どうして戻った、手紙を読んでいないのか」という狼狽した声が返ってきた。
千代は顔を見て話したら戻るつもりだったが、聞く耳を持たない男に突き飛ばされた。その拍子に転がり落ちた出刃包丁が月光を浴びて光った。男はそれを遠くに投げ捨て、雨戸を一気に閉めた。
千代はその場に座り込み、やがてゆっくり歩き出し、早朝に川西の生家にたどり着いた。リュウの顔を見たとたん、涙が溢れ出た。
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