本能寺の変はなぜ起こったのか。歴史評論家の香原斗志さんは「主要因とされるのは長宗我部元親をめぐる『四国説』だ。そこでは、首謀者の明智秀以上にメンツをつぶされた武将がいた」という――。
芳年『月百姿 堅田浦の月 斎藤内蔵介』
芳年『月百姿 堅田浦の月 斎藤内蔵介』,秋山武右エ門,明治21. 出典=国立国会図書館デジタルコレクション(参照:2026年7月9日)

本能寺の変の最大の原因とされる「四国説」とは

織田信長(小栗旬)は、土佐(高知県)を統一した長宗我部元親(磯部寛之)に、四国全土を自由に切り取って(征服して)いいと、明智光秀(要潤)を通して伝えていた。ところが、天正9年(1581)になって突然、方針を変更した。

信長は、これまで敵対していた阿波(徳島県)の三好一族の訴えを聞き入れ、臣従した彼らに阿波を治めさせる代わりに、長宗我部との約束は反故にした。そして、方針が変わったので、四国の切り取りをあきらめるように、光秀に元親を説得させた。だが、元親は、これまで膨大な労力を費やした事業をいきなり中止にすることを、断固として拒んだ。

これを受けて信長は四国の討伐を決断し、三男の信孝(結木滉星)に準備を、今井宗久(和田正人)に鉄砲の調達を命じた――。このように光秀が、信長と元親のあいだに挟まって苦慮する姿が描かれたのは、NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」の第26回「信長を笑わせろ!」(7月5日放送)だった。

長宗我部家の「取次」(仲介役)を務めていた光秀が、信長の四国戦略の変更によって苦慮し、それが本能寺の変の最大の原因になったという「四国説」は、光秀が謀反を起こした動機として、現在、もっとも有力視されている。

それがドラマでこれほど正面から取り上げられたことは、なかったかもしれない。感情的な私怨に落とし込むケースが多いなかで評価できる。ただ、「四国説」は光秀だけが苦慮したという話ではない。むしろ、光秀以上に追い詰められた家臣がいて、光秀にはその家臣を慮る義務があった。そんな事情もあったのである。