85年前のシミュレーションは「必敗」
【大木】今もそういうことは盛んに議論されていますね。猪瀬直樹の『昭和一六年夏の敗戦』(世界文化社、1983年)がテレビなどでよく取り上げられます。昭和16(1941)年に、総理大臣直轄の総力戦研究所が、アメリカとの戦争に「必敗」という結果を出して報告したのに、東條英機がそれを蹴ったという話です。
しかし、東條にしてみれば、そんなことは分かっているわけです。そもそも総力戦研究所は、「研究所」という名前はついていますが、実際には、総力戦に向けた高級官僚や高級将校を育てる学校で、日米戦シミュレーションのために、特別に設置した機関などではありません。日米戦の模擬演習もその課題としてやったにすぎない。その手の研究は、海軍大学校はじめ、ほかの機関でもやっていて、だいたいうまくいかないという結論になっている。おおっぴらには言わないだけです。当然のことながら、国力に大差があるわけだから、そうなるものなのです。
当事者の東條が、日露戦争の時も負けるという議論があったが、やったら勝った、今度もやってみなければわからないとしか答えようがなかったという、その心境は理解できる気はします。
いつかはアメリカと戦うという軍人教育
【戸髙】勝ちそうだからやる、負けそうだからやらない、そんな理屈で決める次元の話ではないという、軍人としての意識付けがあります。どんなに敵が強くても、お上が、天皇陛下がやると言ったらやるのだという前提になる。
海軍兵学校や陸軍士官学校では、そのような教育を受けるわけです。兵学校であれば五〇期前後、ワシントン海軍軍縮条約下の人たちは、「戦艦や空母の隻数で不利でも、君たちはいずれ太平洋の真ん中でアメリカ艦隊と戦うのだ」とストレートに刷り込まれている。だから疑問を持たない。戦うことに関しては、どう戦うかが残っているだけです。いつかはアメリカと戦うのだという、その一事のために教育を受けています。兵学校を卒業して艦隊に行っても、引き続き、それを言われて訓練をしている。
「戦争は無理」とは口が裂けても言えない
【大木】帝国国防方針を決めて、それを可能にするための予算を取ってきて、制度、組織、人事を整えたわけですから、そのあげくに「やれない」とは口が裂けても言えません。官僚的な組織防衛本能から、「やります」となる。
【保阪】海軍首脳部の開戦前の心情はまさにその点にあるわけです。海軍の看板は、アメリカと戦う、アメリカから国を守るという「理想」なのですね。
【戸髙】そのようなものですね。本気でやっていいのだろうか、できないだろうか。これで海軍が潰れはしないかと心配しているわけです。






