85年前のシミュレーションは「必敗」

【大木】今もそういうことは盛んに議論されていますね。猪瀬直樹の『昭和一六年夏の敗戦』(世界文化社、1983年)がテレビなどでよく取り上げられます。昭和16(1941)年に、総理大臣直轄の総力戦研究所が、アメリカとの戦争に「必敗」という結果を出して報告したのに、東條英機がそれを蹴ったという話です。

保阪正康、戸髙一成、大木毅『虚構の昭和史』(角川新書)
保阪正康、戸髙一成、大木毅『虚構の昭和史』(角川新書)

しかし、東條にしてみれば、そんなことは分かっているわけです。そもそも総力戦研究所は、「研究所」という名前はついていますが、実際には、総力戦に向けた高級官僚や高級将校を育てる学校で、日米戦シミュレーションのために、特別に設置した機関などではありません。日米戦の模擬演習もその課題としてやったにすぎない。その手の研究は、海軍大学校はじめ、ほかの機関でもやっていて、だいたいうまくいかないという結論になっている。おおっぴらには言わないだけです。当然のことながら、国力に大差があるわけだから、そうなるものなのです。

当事者の東條が、日露戦争の時も負けるという議論があったが、やったら勝った、今度もやってみなければわからないとしか答えようがなかったという、その心境は理解できる気はします。

1941年10月18日、東條英機(中央)内閣の閣僚。初閣議を終え、官邸で
1941年10月18日、東條英機(中央)内閣の閣僚。初閣議を終え、官邸で(写真=毎日新聞社/アジア歴史資料センター/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons

いつかはアメリカと戦うという軍人教育

【戸髙】勝ちそうだからやる、負けそうだからやらない、そんな理屈で決める次元の話ではないという、軍人としての意識付けがあります。どんなに敵が強くても、お上が、天皇陛下がやると言ったらやるのだという前提になる。

海軍兵学校や陸軍士官学校では、そのような教育を受けるわけです。兵学校であれば五〇期前後、ワシントン海軍軍縮条約下の人たちは、「戦艦や空母の隻数で不利でも、君たちはいずれ太平洋の真ん中でアメリカ艦隊と戦うのだ」とストレートに刷り込まれている。だから疑問を持たない。戦うことに関しては、どう戦うかが残っているだけです。いつかはアメリカと戦うのだという、その一事のために教育を受けています。兵学校を卒業して艦隊に行っても、引き続き、それを言われて訓練をしている。

「戦争は無理」とは口が裂けても言えない

【大木】帝国国防方針を決めて、それを可能にするための予算を取ってきて、制度、組織、人事を整えたわけですから、そのあげくに「やれない」とは口が裂けても言えません。官僚的な組織防衛本能から、「やります」となる。

【保阪】海軍首脳部の開戦前の心情はまさにその点にあるわけです。海軍の看板は、アメリカと戦う、アメリカから国を守るという「理想」なのですね。

【戸髙】そのようなものですね。本気でやっていいのだろうか、できないだろうか。これで海軍が潰れはしないかと心配しているわけです。

1943年5月、戦死した山本五十六の葬儀での東條英機首相
1943年5月、戦死した山本五十六の葬儀での東條英機首相(写真=朝日新聞より/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons
【関連記事】
元海自特殊部隊員が語る「中国が尖閣諸島に手を出せない理由」
地方衰退の一番の原因は「人口減少」ではない…山口の超富裕層が「住民税43億円」をまるっと抱えて移住した理由
なぜ皇室に1男2女をもたらした「良妻賢母」が嫌われるのか…紀子さまを攻撃する人たちの"本音"
「日本の新幹線」を売らずに済んでよかった…「走るほど大赤字」インドネシア新幹線を勝ち取った習近平の大誤算
だから習近平は「高市叩き」をやめられない…海外メディアが報じた「台湾問題どころではない」中国の惨状