山本と考えが合わなかった人々

【大木】海軍の航空畑には山本五十六―大西瀧治郎たきじろう(*1)源田実げんだみのるというライン、派閥というほど強烈ではないものの、ある系列がありました。戦時中は、それが航空の主流派となったようです。

柴田武雄たけお(海・大佐)は、そこから距離があったので冷飯組で、やたらに現場に行かされた人です。昭和16(1941)年に第三航空隊副長兼飛行長でフィリピン、昭和18(1943)年に第二〇四航空隊司令でラバウル、昭和20(1945)年には第三一二航空隊司令で横須賀と、いつも最前線に送られていました。こういう人たちは、山本五十六のことをよく思っていません。

柴田さんが書いているのですが、雷撃訓練をすれば、魚雷はよく命中する。なぜなら、ぎりぎりまで接近して発射するからだ、と。しかし、実際の戦場では高角砲がバンバン撃ってくるのだから、とてもそんな近距離まで行くことはできない。もっと実戦に近づけた状況で訓練すべきで、魚雷発射も遠距離でやってみるべきだと、山本五十六に意見具申したそうです。ところが、山本は「そういう話は海軍の攻撃精神に反するから、二度と言うな」と怒りだしたそうです。