東京下町の板金加工会社社長が、妻のために作った調理器具「ときここち」。卵をとくことに特化した商品で、4000円を超える価格でありながら、大ヒットに至った理由とは。ライターの武藤弘樹さんが聞いた――。
左から次男の直樹さん、利根社長、奥様の涼子さん、長男の祐樹さん
写真提供=トネ製作所
左から次男の直樹さん、利根社長、奥様の涼子さん、長男の祐樹さん

売上の8割を失って苦境に立たされた

2008年、東京都荒川区にある町工場「トネ製作所」にピンチが訪れた。

売上の8割を占める主要取引先が製造拠点を中国に移すことになり、経営の危機に立たされたのだった。

トネ製作所は、現社長・利根とねとおるさんの父である先代が立ち上げた会社で、精密板金や金属プレス加工を主に、駅のホームドア部品や新幹線内の金具、ATMの精密機構部品など、人々の生活を支える様々な製品を製造している。

当時は30人いた従業員を半分の15人に減らし、手元に残った2割の業務を行いながら、社長を中心に社の立て直しに奔走することになった。「当時は社員をリストラしたことが本当に申し訳なく、苦しい思いをしました」と利根さんは言う。

この時のことを妻の涼子さんは「夫は愚痴を言わない人なので、とても心配でした」と振り返る。専業主婦である涼子さんは、夫が倒れないよう食事や健康面のサポート、自宅でリラックスできるように気をつけた。さらに経営を助けられるようにと、自らもビジネスの勉強をするようになったという。

一方、利根さんは家族に支えられながら、「やれることはなんでもやろう」「家族のためにがんばろう」と経営セミナーに参加したり、新しい技術を学んだり、取引先を増やすために売り込みをしたり、自社製品の開発に取り組んだりと、必死で会社を守ってきた。

試作品1号はステンレスの棒だった

地道な努力で少しずつ仕事を増やしていた2017年、利根さんは涼子さんから「卵を均一にうまく混ぜられる調理器具を作ってほしい」と頼まれた。

涼子さんは、卵の白身が大の苦手。ドロッとした白身のせいで、卵を美味しく食べられなかった。調理の際は、菜箸でしっかり混ぜたが、それでも黄身と白身がなかなか一体にはならず、手が疲れてしまう。長年、涼子さんは卵に悩まされてきたのである。そこで、利根さんは妻のため、早速この個人的な開発に着手した。

試作品1号は卵はとけたが、何の変哲もないステンレスの平べったい棒で無粋だった。そこで試作品2号として、利根さんは持ち手に猫をあしらったものを作ったが、涼子さんからは「持つと手が痛い」とNGが出てしまう。

試作品3号は、手が痛くないようにとフチの部分を丸く削って仕上げた。アイスクリームのスプーンのような形で、卵をとくための線を先端に3本備えたため、かき混ぜる効率が格段に向上。しかし、涼子さんからは「短すぎて卵液が指についてしまう」というフィードバックがあった。

それらを踏まえて、全体を長くし、立体感を持たせた試作品4号は洗練されたデザインに仕上がった。ところが、涼子さんに「持ち手の穴が変」と言われ、再び修正することに。デザインはもちろん、厚みなどの細かな調整を積み重ねていった。

「ときここち」の試作品。形がどんどん洗練されていった。
撮影=プレジデントオンライン編集部
「ときここち」の試作品。形がどんどん洗練されていった。