※本稿は、山崎雅弘『戦争を甘く見る空気』(朝日新書)の一部を再編集したものです。
特攻隊は「死への片道切符」
先の戦争で命を落とした日本軍人の中でも、とりわけ悲壮な物語として語られるのが、いわゆる「特攻(諸外国では「カミカゼ」)」で死んだ兵士の最期です。
戦争末期、通常の戦い方では戦局を挽回できないとの認識が日本軍の内部で広まると、上層部は破れかぶれのような形で、爆弾を搭載した飛行機や船で敵の軍艦に体当たりさせるという、常軌を逸した戦法を組織として命令するようになりました。
当時の日本軍は、この戦法を「特別攻撃(特攻)」と呼び、海軍は「神風特攻隊」という名称で、体当たり攻撃の航空隊を継続的に出撃させました。この戦法が、新聞で大きく報じられて国内で反響を呼ぶと、陸軍航空隊も同様の「特攻隊」を組織して繰り返し発進させ、日本の近海に展開する敵艦へと向かわせました。
「笑って突込んで行く覚悟です」
鹿児島県には、戦争中に多くの日本軍の航空基地が置かれており、知覧と万世には、特攻隊員を偲ぶ平和祈念館があります。また、海上自衛隊の鹿屋航空基地内にある「鹿屋航空基地史料館」でも、特攻作戦と特攻隊に関する展示物が公開されています。
各館内には、亡くなった特攻隊員の遺影や遺書が数多く展示されていて、見学者の中には、遺書の内容を読んで涙を流す人も少なくありません。
特攻隊員の書き残した遺書には、「笑って突込んで行く覚悟です」「私が死んでも、どうか悲しまずに大君(天皇)の為に よくぞ死んだ天晴れな最後だったとほめてやってください」「お父上様、母上様この栄の心境を察し下さい 栄は飛んで喜んで行きました」など、自らの死を覚悟した若い兵士の「純真な」心情が綴られているからです。
けれども、後世に生きる我々がこうした「遺書」を読む時、気をつけなくてはいけないことがあります。それは、「どういう境遇でこれが書かれたのか」という点です。

