あまりに惨い死が塗り替えられていった
若くて誠実な日本兵が、満足な食糧もないまま敵の追撃を逃れ、故郷に残した恋人から贈られたお守りを握り締める。周囲を敵に囲まれた南国のジャングルで彼女の幸せを祈りながら、敵の降伏勧告を敢然と拒否し、最期の突撃に向かう覚悟を固める。
そして、弾を撃ち尽くした銃を捨てて、肉弾戦でしか効果を発揮しない銃剣を血まみれの手で握り締め、もう二度と顔を見ることもできない最愛の恋人の名を叫びながら敵の陣地に突撃し、機銃弾を全身に浴びて鉄条網に倒れ込み、名誉の戦死を遂げた。
このような文章で情緒的な物語に仕立てれば、読む人の心にさまざまな感情の高まりを呼び起こし、兵士の死が「美しい最期」であったかのような印象すら受けるでしょう。実際、この種の物語に特攻隊員の若者を当てはめた小説や映画がいくつも世に出され、大衆的な人気を博しています。
これが、戦争を情緒的な物語に当てはめて語ることの恐さです。
「ご英霊」「尊崇の念」「散華」…
高市早苗が2012年8月15日、公式ブログに掲載した靖国神社参拝時のコメントは、情緒的な物語を事実であるかのように語った内容です。そこで使われる「散華された」という言葉は、軍人が戦場で命を落とすという凄惨な状況を、情緒的な美談として物語化する時の常套句です。
「今年は、例年通り、午前中に靖国神社に参拝し、その後、日本武道館で挙行された全国戦没者追悼式典に参列致しました。
靖国神社では、国策に殉じ尊い生命を捧げられたご英霊に、尊崇の念をもって感謝の誠を捧げてまいりました。
いつも本殿前まで歩を進めますと、胸が締め付けられるように苦しくなり、涙が滲んできます。
祖国の存続を願い、愛するご家族や故郷への深い思いを残して散華された方々。悲しみを堪えて歯を食いしばって戦後の混乱期を生き抜いてこられた多くのご遺族たち。
『そのご労苦に応えなければ』『美しく強く繁栄を続ける国家を築いていかなければ…』
という使命感と焦燥感に、押しつぶされてしまいそうになるのです」
靖国神社を参拝して「英霊に感謝」という言葉を口にする「保守派」の政治家たちは、地獄のような戦場の実相ではなく、美辞麗句で飾り立てた情緒的な物語を好みます。
彼らは誰一人として、靖国神社を参拝する時に、先の戦争で命を落とした日本の軍人と軍属の6割、約140万人が「餓死者だった」とは言いません。戦没軍人約230万人の全員が「敵と戦って散華した」かのように語ります。
この政治家の行為は、一見すると先の戦争で亡くなった日本の軍人と軍属に寄り添っているように見えて、実は正反対で、軍人と軍属の命を著しく軽んじています。
なぜなら、彼らを死なせた「原因」を批判的に検証したり、彼らを死に追いやった「責任者」を批判的に追及するそぶりを、一切見せていないからです。


