「死にたくない」とは口に出せなかった

当時の日本社会には、軍人が戦争で死ぬことを「避けるべきこと」や「悲しいこと」と見なすことを許さない「空気」が充満していました。それどころか、靖国神社宮司の言葉にあるような「戦死した人を褒めてあげなさい」という態度が、表向きは国民に求められていました。

特攻で出撃する兵士の遺書も、遺された家族が周囲のいじめなどで理不尽な目に遭わないようにするためには、当時の日本社会を支配した「空気」に合う内容の言葉を書くしかありませんでした。「僕は本当は死にたくない」とか「特攻を命令した上官が憎い」と、本心では思っていたとしても、それを遺書に書くことは事実上不可能でした。

もしそんな言葉を書いたなら、軍の検閲に引っかかって廃棄されたり、受け取った遺族が「卑怯者の家族」や「非国民の家族」と罵られる可能性が高かったからです。逆に、当時の日本社会の世界観や死生観に合致した遺書を書いておけば、残された家族は「英霊の家」として称えられ、地域社会で良い待遇を得られることもありました。

出撃する特攻隊員を見送る女学生たち
出撃する特攻隊員を見送る女学生たち(画像=Hayakawa/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons

人を人として扱わない冷酷非道な戦法

もちろん、個々の特攻隊員がどんな心情で遺書をしたためたのか、実際のところはご本人にしかわかりません。当時の価値観に適応し、遺書に書き記したような気持ちを胸に抱いて出撃した隊員も、少なからず存在したのだろうとは思います。

しかし、現代に生きる我々が、こうした遺書を「悲しい美談」と理解して感情的に「消費」することには、やはり問題があるように思います。彼らをそんな境遇へと追いやった上官や軍隊組織、そして社会の「空気」に対する批判的な視点が消失するからです。

特攻とは、実際の状況をストレートに表現すれば、「体当たり自殺攻撃」になります。

このような表現では、亡くなった人が不憫だということで、婉曲な表現である「特攻」という言葉が使われてきましたが、我々がまず考えないといけないのは、こんな戦い方はきわめて非人道的で、第二次大戦中に組織として繰り返し兵士に行わせた国は、日本以外にはなかったという現実です。

兵士が死ぬことを前提とした戦法は、人を人として扱わない、冷酷な行いです。

過去の戦争では、甚大な損害が出ることを想定した上でなされる「敵陣への突撃」が、しばしば行われてきました。けれども、それらは基本的に「生き残った兵が敵陣を占領する」ことが目標であり、突撃した全員を死なせる「死の強制」ではありませんでした。

そしてもう一つ、現代の我々が留意すべき重要な点は、もし靖国神社が存在しなかったなら、特攻という「体当たり自殺攻撃」も存在しなかったであろうということです。