「死にたくない」とは口に出せなかった

当時の日本社会には、軍人が戦争で死ぬことを「避けるべきこと」や「悲しいこと」と見なすことを許さない「空気」が充満していました。それどころか、靖国神社宮司の言葉にあるような「戦死した人を褒めてあげなさい」という態度が、表向きは国民に求められていました。

特攻で出撃する兵士の遺書も、遺された家族が周囲のいじめなどで理不尽な目に遭わないようにするためには、当時の日本社会を支配した「空気」に合う内容の言葉を書くしかありませんでした。「僕は本当は死にたくない」とか「特攻を命令した上官が憎い」と、本心では思っていたとしても、それを遺書に書くことは事実上不可能でした。

もしそんな言葉を書いたなら、軍の検閲に引っかかって廃棄されたり、受け取った遺族が「卑怯者の家族」や「非国民の家族」と罵られる可能性が高かったからです。逆に、当時の日本社会の世界観や死生観に合致した遺書を書いておけば、残された家族は「英霊の家」として称えられ、地域社会で良い待遇を得られることもありました。