※本稿は、長谷川洋二『八雲の妻 小泉セツの生涯』(潮文庫)の一部を再編集したものです。
鼻の形がそっくりな長男が誕生
明治26年(1893)11月17日、朝の一時に、栗色の髪と青い目を持ち、鼻の形がハーンそっくりの一雄が生まれた。ハーンは一晩中床につかなかったのだが、早朝万右衛門(セツの養祖父)が書斎に駆けつけて来て、「フェロン公、天晴れだ。生まれますたで、生まれますたで、これが、これが……」と、腕をまくり拳を振って、男の子の誕生の喜びを伝えたという。
ハーンは子の誕生に過激に反応し、一雄を熱烈に愛した。そして、時に外部が見えないほどであった。セツはその夢中の様子を、「ヘルンは、この子を大層誇りに致しまして、学生さんであれ、同僚の教授の方であれ、たまたま宅にお見えのどなたにでも、腕に抱いて出まして、客の言葉を待たずに、すぐさま子供を賞めるのでございました」と語っている(野口米次郎『日本におけるラフカディオ・ハーン Lafcadio Hearn in Japan』拙訳)。
熊本から香川へ、赤子を連れて
初子誕生の5カ月後の4月3日から6日にかけて、ハーンとセツは小さな一雄を連れトミ(セツの養母)を伴って、金毘羅に詣でた。
多度津へと瀬戸内海を渡って、澄み切った青空の彼方に讃岐富士を望み、渺茫と広がる満開の桜に恍惚として、参道を歩く。785段という石段を上る時にセツと交した会話を、ハーンはチェンバレン(編集部註:イギリス人の日本研究家、東京帝国大学文学部名誉教師)に報告している。
一雄の祖母は、その坂の下で草履を脱ぎ、子供を負いながら事もなげに上り始めた。私が裸足を止めようとすると、セツは「いいえ、あれは母の習慣です。神聖な所へ履物で近づくのは悪いと思っているのです」と言いました……。
熊本に移った翌年の4月には、2人だけで博多への一泊の旅行を、その年の夏休みには、京都・奈良から隠岐にかけての2カ月の旅をしていた。今度は家族連れであり、たまたま絶好の天気に恵まれた。生後5カ月の一雄は、2人の巫子の舞に目を見張って、そのうちの1人を微笑ませ、生涯で見た最もきれいな少女たちと思っていた父親を、喜ばせたのである。

