朝ドラ「ばけばけ」(NHK)ではラフカディオ・ハーンをモデルにしたヘブン(トミー・バストウ)の友人・錦織(吉沢亮)が再登場。錦織は実在した教師・西田千太郎をモデルにしている。歴史家の長谷川洋二さんは「西田は34歳の若さで胸の病に屈し、ハーンを、悲嘆と落胆のドン底に陷れた」という――。

※本稿は、長谷川洋二『八雲の妻 小泉セツの生涯』(潮文庫)の一部を再編集したものです。

ハーンは帰化のため松江に戻る

ハーンが帰化して日本国民となれば、日本人と同じ給与になるのではないかとの危惧きぐがあったが、今や、生活費の安い日本に住んでのことだが、印税収入で生計を維持する自信が持て、その迷いも消えた。明治28年(1895)8月以降西田が言語上の仲立ちをして、高木苓太郎(セツの親戚)が、松江市役所での戸籍手続きを進める。

ハーンは、手続き開始の半年前にも、老友ワトキン宛の手紙に己の生命の衰えを記したが、(伝記作家の)ニナ・ケナードが、未亡人(セツ)の話として書いているところによれば、「この1895年の秋、血管の硬化など心筋梗塞の徴候が彼に警告を発していた」(『ラフカディオ・ハーン Lafcadio Hearn』1912)。事実であれば、諸手続きは急がれたであろう。

8月27日、藤三郎(セツの実弟)を戸主とする殿町の小泉本家から、(セツの養祖父)稲垣万右衛門が住んでいたと思われる「内中原三〇二番屋敷ノ四」を住所として、セツを戸主とする小泉の分家が立てられた。翌日の日付で、(松江の英語教師でハーンの友人である)西田千太郎がセツ宛の長文の手紙(池田記念美術館)を書き、小泉家と稲垣家の事情等を伝えている。

小泉家で「外国人入夫結婚」を申請

9月には、「セツ私生子」なる長男・一雄の出生届が、出生時の「届漏」を詫びる戸主(藤三郎)の文言を入れて提出され、10月3日には、「親戚協議ノ上」での「外国人入夫結婚」の願いが出された。後者は松江市役所で済まされず、島根県知事を煩わせて、翌年1月15日に「聞届ぶんとどけ」けられる。

小泉八雲と妻セツ、長男・一雄(神戸時代)
写真提供=小泉家
小泉八雲と妻セツ、長男・一雄(神戸時代)

そして明治29年(1896)2月12日、内中原の平民小泉八雲の「妻セツ(戸主)退隠後あと相続」が相成り、翌日、八雲の「小泉藤三郎姉セツ私生子男一雄ヲ子ト認メ」る「願」が、「承認」された。

一方、前年11月6日に出されたハーンの帰化申請に対しては、10日ほどして神戸市役所職員が、下山手通り6丁目の家(神戸第二の住居)に来訪し、その後市役所に呼び出して、セツに種々の尋問を行っている。ただし、ハーンに日本国天皇への忠誠を求める兵庫県知事の要請は、神戸のイギリス領事への書面(1月3日付)の提示で済まされ、2月14日、めでたく知事の認可が下った。かくしてこの日、戸籍手続きによる法的結婚とハーンの日本国籍取得とが、完成を見たわけである。二つの「家」が絡み、前例のない「外国人入夫結婚」が入る手続きが、いかに煩瑣はんさを極めたかは、苓太郎の現存するセツ宛書簡(池田記念美術館)が、42通を数えることでも知られる。