医師ベルツと日本人妻の場合
セツとハーンの結婚の4年ほど前、近代日本医学の恩人と仰がれるエルヴィン・フォン・ベルツが、日本女性のハナ(花)と結婚していた。お雇い外国人として顕要な地位にあったベルツは、有名な『ベルツの日記』で、あのように深い愛情と敬意とをもって、彼の日本人の妻を語っている。
しかし、我々は2人が結ばれた経緯について、ハナが、17歳の明治14年(1881)頃、加賀屋敷にあった帝国大学官舎の十二番館に女中として入り、ハナ23歳ベルツ38歳の明治20年(1887)前後に結婚したのだろう(明治22年・男子トク誕生)、という程度にしか知ることができない。戸籍上の婚姻届が出されたのは、実に明治37年(1904年11月28日)である(真寿美・シュミット=村木『「花・ベルツ」への旅』等)。
一雄は、「母ローザへ尽せざりし孝養と妻への愛情との両方を夫から受けた妻セツは実に幸福な女性である」と書いている(『父小泉八雲』)。ベルツとハナの場合と比較する時に、同じ年恰好や男女の身分関係であっても、ハーンとセツが、いかに人生の困難を担って生き、ハーンの帰化を絡めて、いかに苦労しているかが理解される。
日本人名・八雲を命名したのは?
八雲という命名は、西田の手紙によれば、万右衛門によってなされた。記録された日本最古の歌――『古事記』と『日本書紀』との双方に登場する歌――「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣つくる その八重垣を」に由来する。「八雲立つ」という美しい枕詞に飾られる出雲に来て、櫛名田比売(稲田姫)を娶った須佐之男命の歌。
新婚のための「新室寿」とも言えるこの歌は、セツとハーンにとって最もふさわしい「雅歌」ではなかろうか。


