2026年5月に、プレジデントオンラインで反響の大きかった人気記事ベスト3をお送りします。大河ドラマ部門の第1位は――。
▼第1位 そりゃ浅井長政は負けるわ…秀吉でも光秀でもない、険しい小谷城を攻めあぐねた信長を救った戦国武将の名前
▼第2位 あと数年長命だったら豊臣政権はなかった…NHK大河ではチョイ役だった"戦国最強武将"の死の大きな意味
▼第3位 織田信長が見込んだ"中途社員"だったのに…期待に応えられず、妻子も家臣500人も見捨てた戦国武将の末路
小谷城の喉元に織田軍の拠点
第11回:山本山城(滋賀県長浜市)
1570(元亀元)年4月の義弟・浅井長政の裏切り「金ヶ崎の退き口」に始まった、織田信長と浅井・朝倉との争い。姉川での決戦や比叡山焼き討ちなども経て、徐々に信長方が優勢に。そしてついに浅井家の居城、小谷城(図表1①滋賀県長浜市湖北町伊部)での決戦となる。そこには当然、「豊臣兄弟!」(NHK)の主人公である秀吉・秀長の兄弟もいた。
信長が3万の兵を率いて小谷城へと攻め寄せたのは1572(元亀3)年7月。最前線の拠点は虎御前山城(図表1②滋賀県長浜市湖北町河毛)だ。同城には信長以下、木下秀吉、柴田勝家、滝川一益、佐久間信盛、堀秀政と、織田家の主要家臣達が一堂に会している。
なぜ信長は兵を撤退させたのか
虎御前山城は、小谷城の南西約1kmほどしか離れていない。いわば敵の懐に飛び込み、喉元に刃を突きつけたわけだ。当初、信長は虎御前山城に陣取ったものの、城へと攻めかかることはなく睨み合いが続く。それどころかいったん、最前線を秀吉に任せて多くの兵を撤退させてしまう。
それは単に慎重になっただけでなく、中央情勢が緊迫し、足利義昭や武田信玄の動きに対応する必要があったことも大きい。
最終的には秀吉が先陣を切って城内へ突入し、小谷城は落城、長政は自刃し浅井家を滅亡させる。その功績で北近江に領地を得て、一国一城の主となったのはよく知られた話だ。
初めは慎重を期したにもかかわらず翻意し、城への強攻を命令した信長。実はその背景には、ある武将の「寝返り」が大きく関与している。



