大河ドラマ「豊臣兄弟!」(NHK)では信長(小栗旬)を裏切った浅井長政(中島歩)が小谷城で最期を迎える。古城探訪家の今泉慎一さんは「小谷城攻めでは、その近くにある琵琶湖畔の城の城主が信長に寝返り、勝敗のキーパーソンになった」という――。

小谷城の喉元に織田軍の拠点

第11回:山本山城(滋賀県長浜市)

1570(元亀元)年4月の義弟・浅井長政の裏切り「金ヶ崎かねがさき退ぐち」に始まった、織田信長と浅井・朝倉との争い。姉川での決戦や比叡山焼き討ちなども経て、徐々に信長方が優勢に。そしてついに浅井家の居城、小谷城(図表1①滋賀県長浜市湖北町伊部)での決戦となる。そこには当然、「豊臣兄弟!」(NHK)の主人公である秀吉・秀長の兄弟もいた。

信長が3万の兵を率いて小谷城へと攻め寄せたのは1572(元亀3)年7月。最前線の拠点は虎御前山とらごぜやま城(図表1②滋賀県長浜市湖北町河毛)だ。同城には信長以下、木下秀吉、柴田勝家、滝川一益、佐久間信盛、堀秀政と、織田家の主要家臣達が一堂に会している。

虎御前山城の最高所にある伝織田信長陣跡
撮影=今泉慎一(風来堂)
虎御前山城の最高所にある「伝織田信長陣跡」
虎御前山城の「信長馬場」。城内で長大な曲輪があると“馬場”と名付けられていることが多いが実態は怪しい
撮影=今泉慎一(風来堂)
虎御前山城の「信長馬場」。城内で長大な曲輪があると“馬場”と名付けられていることが多いが実態は怪しい

なぜ信長は兵を撤退させたのか

虎御前山城は、小谷城の南西約1kmほどしか離れていない。いわば敵の懐に飛び込み、喉元に刃を突きつけたわけだ。当初、信長は虎御前山城に陣取ったものの、城へと攻めかかることはなく睨み合いが続く。それどころかいったん、最前線を秀吉に任せて多くの兵を撤退させてしまう。

それは単に慎重になっただけでなく、中央情勢が緊迫し、足利義昭や武田信玄の動きに対応する必要があったことも大きい。

最終的には秀吉が先陣を切って城内へ突入し、小谷城は落城、長政は自刃し浅井家を滅亡させる。その功績で北近江に領地を得て、一国一城の主となったのはよく知られた話だ。

初めは慎重を期したにもかかわらず翻意し、城への強攻を命令した信長。実はその背景には、ある武将の「寝返り」が大きく関与している。

【図表1】小谷城・虎御前山城・大獄城・山本山城の位置