「豊臣兄弟!」(NHK)で描かれる信長最大の暴挙ともいわれる「比叡山焼き討ち」。古城探訪家の今泉慎一さんは「その前年、比叡山と組んだ浅井・朝倉軍を食い止めるため、信長の家臣が30分の1の兵力で立ち向かい、戦死したという事件が起きた」という――。
信長vs比叡山、最前線の山城
第10回:宇佐山城(滋賀県大津市)
「豊臣兄弟!」(NHK)で姉川の戦いに勝利した織田信長(小栗旬)だったが、浅井・朝倉連合軍との争いはまだまだ続く。というより、むしろそこから争いが本格化していったと言っても過言ではない。
姉川の戦いが1570(元亀元)年6月、同年の9月から約3カ月間、「志賀の陣」が始まる。姉川は琵琶湖の東岸だったが、今度は同じ近江国でも西岸。浅井・朝倉と手を結んだ比叡山延暦寺(図表1①滋賀県大津市坂本本町4220)が、この争乱の中心となる。
対する織田家の最前線かつ最重要拠点が宇佐山城(図表1②滋賀県大津市宇佐山町)だ。延暦寺から南へ直線距離で5km弱。この城を任されたのが森可成。信長の小姓であり本能寺の変で共に死すことになる森蘭丸(成利)の父で、織田家でも有数の猛将として知られていた男だ。最前線でのその戦いぶりはいかなるものだったのか。宇佐山城の遺構を訪ねつつ探ってみたい。
山そのものが険しい城塞
近江神宮の背後にそびえる宇佐山一帯の山頂が宇佐山城で、麓からの比高は180mとなかなかに険しい。近江神宮の南側にある登山道から見てとれる急峻さだけで、難攻不落の山城だということがよくわかる。
登山口から10分ほどで宇佐八幡宮。ここから先、登りが本格化する。




