急峻な崖上に石垣を築く意味
縄張図を見ると、二の丸側の尾根道が大手道(城の正面ルート)とされているが、二の丸の南端はさらに落差のある切岸になっていた。脇から侵入する敵は大堀切で、大手道から登ってくる敵はこの切岸で撃退する。もうひとつの防衛上の最重要ポイントがここだろう。万が一、突破されたら、先ほどの切岸&横堀でなんとか食い止める戦略だったと思える。
続いて登山道から見えていた東側面の石垣へ。大堀切から回り込むように踏み跡はあるが道はない。登山道からはるか頭上に見上げる角度ではわからないが、近づいてみると実に細かな造作が見られる。ところどころ崩壊しているが、450年以上前のものとは思えないほど堅固だ。
志賀の陣、信長は押され気味だった
崩壊部分について想像するに、見事な野面積の石垣は本丸の東側面を覆っていたと思われる。ただしあくまで山上付近のみ。そもそもとんでもない急傾斜なのだから、石垣がなくとも十分に守りが固そうだ。それでも敢えて石垣で強化するところが、実にぬかりない。
最前線に築かれる陣城には、出撃拠点的な役割とともに、前線を維持するための防衛拠点的な役割もある。志賀の陣の際、実は信長の方が押され気味だった。いわゆる「信長包囲網」によって各地域で敵と対峙しており、比叡山方面だけに全力投入することは難しかったのだ。ただし、機を見て一気に攻め込むのは信長の得意とする戦略。宇佐山城は、その時が来るまで最前線を死守するための拠点と考えれば、このぬかりなさも納得だ。




