1570年、織田信長と徳川家康は浅井・朝倉連合軍と、近江国(現在の滋賀県)の姉川流域で激突したとされる。歴史評論家の香原斗志さんは「史料を見るに、戦死者が少ない。『豊臣兄弟!』で描かれるような、姉川が血で染まるほどの大合戦とは言えない」という――。
毎年7月に福島県相馬市で開催される「相馬野成」
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姉川の戦いは本当に「大合戦」だったのか

義弟の浅井長政(中島歩)に裏切られたせいで窮地に陥った織田信長(小栗旬)は、越前(福井県北東部)の金ヶ崎(福井県敦賀市)からやっとのことで京都に逃げ帰った。殿しんがりをつとめた藤吉郎(池松壮亮)や小一郎(仲野大賀)は、文字どおりに命からがら京都にたどり着いた。それだけに、信長の長政への怒りは激しかった。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」の第14回「絶体絶命!」(4月12日放送)。

そして第14回「姉川大合戦」(4月19日放送)では、金ヶ崎から退却して2カ月余りのちの元亀元年(1570)6月28日に戦われた姉川の戦いが描かれる。サブタイトルでも「大合戦」と謳っているくらいで、「豊臣兄弟!」でも、かなり激しい合戦として描写されるようだ。

織田軍の勝どきが響いて合戦は終わったものの、川は血に赤く染まり、辺りは敵とも味方ともわからない死体で埋まっている。藤吉郎と小一郎が、この世の地獄を目にしているような気持ちに襲われるのも当然だろう。

教科書にも必ず出てくる合戦で、学校では、この戦いに勝ったことで信長は、畿内での権力を固めたと教わる。「1570年、織田信長は姉川の戦いで近江の浅井氏と越前の朝倉氏を破る」というのは、日本史学習者が覚えるべき必須項目だ。しかし、ここで疑問が頭をもたげてくる。信長が浅井と朝倉を滅ぼすのは、それから3年も先なのに、どうして姉川の戦いがそんなに重視されるのだろう……と。

じつのところ、姉川の戦いが「大合戦」だというのは、後世にかなり脚色された話、というのがいまではほぼ通説なのである。