大合戦にしては戦死者が少ない

というのも、「大合戦」にしては、戦死者が少ない。浅井家臣団のなかで確固たる地位があった戦死者は、信長本陣に奇襲をかけたという遠藤直経くらいだ。

坂田郡飯村の土豪で、浅井氏の家臣であった嶋氏の由緒書『嶋記録』には、坂田郡南部の戦死者や戦傷者のリストが載せられているが、戦死者は土豪の家来を含めて30人で、武士の身分の者は15人。しかし、各家の当主は1人もいない。太田氏は〈戦死者から見ても姉川合戦が浅井・朝倉氏に致命的な打撃を与えていないのは明らかである〉と記す。

戦国大名は自軍の損傷を最小限に食い止めることを優先したので、勢力が伯仲する相手との正面衝突は極力避けた。信長も家康も同様だった。ところが姉川の戦いでは、織田・徳川連合軍が浅井・朝倉連合軍と正面から戦い、雌雄を決したように語られる。だが、そうであったら、浅井と朝倉に、同年9月の志賀の陣に出陣する余裕があったはずがないし、その後、3年も戦えたはずがない。

基本的には、両軍がにらみ合いを続け、一瞬の隙を突いて浅井方が奇襲をかけたが押し返され、退却する際に多少の痛手を負った、というところなのだろう。

しかし、「豊臣兄弟!」もいまなお、江戸時代のプロパガンダの影響を受けている。もっとも、「大合戦」として描いたほうが視聴者の楽しみは増すとは思うが。

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