※本稿は、阿部修平、藤吉雅春『コンパウンドグロース投資 世界を牽引する日本の新時代』(リンクタイズ)の一部を再編集したものです。
「1990円フリース」爆売れの3年前
40代以上なら1998年に起きたユニクロのフリースブームを覚えている人は多いだろう。
ユニクロ原宿店がオープンしたその年の冬、フリースは社会現象といえるほど爆発的に売れた。
私はそれまでユニクロというブランドを知らなかったが、突然、郊外のあちこちで天井の高い倉庫型の洒落た店舗を見かけるようになり、1900円という格安のさまざまな色を取り揃えたフリースが陳列棚に並んだ。その年にフリースは200万枚売れ、翌年には800万枚が売れ、さらに2000年には2600万枚を売った。この突如として現れたカジュアルウェアの店を、フリースブームの3年前から投資して支援していたのが、スパークスの阿部氏だった。
1990年代の後半まで日本でもあまり知られていなかった小さな会社のブレイクスルー前夜を阿部氏はなぜ見つけられたのだろうか。(藤吉)
各業界の「価格破壊」モデルを探した
【藤吉】1989年、日本はデフレの時代、価格破壊の時代に突入していきます。
【阿部】価格破壊を最初にリードしたのはABCマート(靴専門店チェーン)です。海外の人気ブランドの商標権を取得し、同社が企画・デザインして韓国の工場で生産する。そこで製造した靴を日本に逆輸入した。当時韓国の人件費は日本よりも割安だったんで、かなり安く靴をつくれたんですよね。僕は「これはこれからの時代のモデルになるな」と思って、各業界における「価格破壊」モデルを探していったんです。
【藤吉】そのひとつがファーストリテイリングだったんですね。
【阿部】まだ本社が山口県宇部市にあった時代ですね。そのころから年齢、性別を問わず「誰もが着られる服」を基本コンセプトとしていました。
それがなぜ斬新だったかというと、当時、日本のお父さんたちが休日に着られる服ってゴルフウェアとかジャージぐらいしかなかったんです。これがアメリカだったら、GAPみたいに老若男女が着られるカジュアルな服が普通に売られている。僕はアメリカにいたので、ユニクロの「誰もが着られる服」というコンセプトが意味するところがよくわかりました。
しかも商品の8割超が自社で企画・生産管理をするプライベートブランドで、その商品のほとんどを労働力の安い中国で生産することで、価格を抑えていた。「これは面白いな」と思って、すぐに柳井(正・現ファーストリテイリング取締役会長兼社長)さんに会いにいったんです。


