柳井氏の第一印象は「目の輝きと迫力」

【藤吉】第一印象はどんな感じだったんですか?

【阿部】やっぱり、自分の事業に人生を懸けている人特有の目の輝きと迫力がありました。もちろん着ているものもおしゃれだったし。柳井さんは早稲田大学を卒業したあと、ジャスコ(現在のイオンリテール)に入社して、短い期間、働いているんですよね。それから地元に戻って、お父さんの事業を継いだ。

【藤吉】お父さんは「小郡商事」という紳士服などの小売りをやっていた。

【阿部】紳士服以外にも、VANの代理店とかゴルフ練習場とか、手広くやっていたみたいです。柳井さんが後を継ぐとなったときに、かなりの残高がある預金通帳と印鑑をお父さんからポンと渡されたそうですが、ユニクロの事業に関しては柳井さんがゼロからつくり上げたものです。

【藤吉】柳井さんが正式に「小郡商事」の社長になったのが1984年ですね。その年に広島にユニクロ1号店を出したのを皮切りに、1990年代の半ばごろには200店舗以上を展開するようになっています。

【阿部】町の真ん中ではなくて、大きな国道沿いとか、郊外のロードサイドに出店していました。

僕が面白いなと思ったのは、ユニクロの店舗には、昔から独特の「色」があるんですよね。これまでの日本の衣料品店にはない色であふれていて、本人に会って「そうか、あれは柳井さんの色だったんだな」と納得しました。

目指す企業は「セブン‐イレブン」

【藤吉】最初に会ったとき、どんな話をされたんですか?

【阿部】いちばん印象的だったのは、僕が「目指す企業は?」と尋ねたら、柳井さんは「日本では唯一、小売業のなかでセブン‐イレブンを尊敬しています」と答えたんですよね。

【藤吉】同じアパレル業界ではなく、小売流通業を見ていたというのが面白いですね。

【阿部】セブン‐イレブンのようなチェーン・オペレーションをアパレルの分野で展開したいということだったと思います。実際に郊外ロードサイド型、低価格、そして出店スピードの速さから「次のセブン‐イレブン」という期待感で、ファーストリテイリングの株価は一時期、かなり高騰しました。ただ、90年代半ばごろから、ちょっと成長が頭打ちになってきて、株価がかなり下がったんです。

セブン‐イレブンの店舗
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