「初戴冠」。将棋の藤井聡太七段が7月16日、大阪市の関西将棋会館で指された第91期棋聖戦5番勝負の第4局で渡辺明棋聖を110手で破って3勝1敗とし、最年少の17歳11カ月で念願の初タイトルを獲得した。藤井新棋聖は、昨年、『プレジデントFamily2019年秋号』で自身の小学生時代を振り返っている。初戴冠を記念して、この記事を特別配信しよう——。

※本稿は、『プレジデントFamily2019年秋号』の一部を再編集したものです。

2019年夏、トップ棋士12人のみ出場するJTプロ公式戦に最年少出場した最年少出場した藤井聡太七段。対局前のキリリとした表情。
撮影=竹内さくら
2019年夏、トップ棋士12人のみ出場するJTプロ公式戦に最年少出場した藤井聡太七段。対局前のキリリとした表情。

「17歳11カ月」で棋聖になった藤井聡太の原点は「10年前の涙」

「まるで別人の顔つきだ……」

2019年8月11日、福岡市で開かれた「将棋日本シリーズ JTプロ公式戦」1回戦。同シリーズは前年賞金ランキング上位の棋士など12人のみが出場資格を得られる「頂上決戦」のひとつ。

三浦弘行九段(45歳)と対戦する藤井聡太七段(17歳・当時)は、黒の羽織と縞の袴という和装で登場した。そのオーラや眼差しは、2日前に本誌インタビューに答えてくれた際の柔和な表情とは全く異なる勝負師のそれだった……。

2016年10月に史上最年少の14歳2カ月でプロ(四段)デビューし、それから破竹の29連勝。その1年後には七段にまでのぼりつめた。昇段するたびに「最年少記録」であることがメディアで報じられた。

小2の全国大会決勝、大観衆の前で屈辱の敗北

じつは本欄「未来の泰斗」では藤井がまだ12歳の時に密着取材していた。当時はまだ将棋のプロ養成機関である奨励会二段でライバルと切磋琢磨せっさたくまし、もがいていた。藤井は「(戦後5人目の)中学生プロになることが目標です」と語っていた。見事、有言実行したことになる。

毎年、奨励会所属の約150人のうち4人しかプロになれない超狭き門を突破し、その後、将棋ファン以外の人々をも熱狂させる大活躍を見せた「天才」。

しかし、そんな藤井にも苦い経験があった。それは小学2年で出場した、前出「JTプロ公式戦」と同時開催される「テーブルマークこども大会」でのことだ。

「勝ち進んでいって決勝の舞台に立てたのはとてもうれしかったことを覚えています。でも、中盤から終盤あたりで、自分でも信じられない大きなミスをしてしまって……。勝負が決まってしまうレベルで、その手を指した直後にミスに気がつき、気持ちを立て直せませんでした。表彰式でも悔しさのあまり泣いてしまいました」

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プレジデントFamily』2019秋号の特集は「わが家と何が違うのか解明! 東大生184人『頭のいい子』の育て方」。本稿の藤井聡太七段の詳細インタビュー記事のほか、「賢い子が育った『家庭の中身』大公開」「僕が私ががんばり続けられた『親の言葉』」「東大生が小学生時代に読んだ本2019」などの記事を紹介。「『算数』が得意になった遊びと勉強法11」なども掲載している。ぜひ手に取ってご覧ください。