駅の利用者数だけでは見えない客の変化
大型店の閉店が続いた一方で、駅から人がいなくなったわけではない。
JR津田沼駅の1日平均乗車人員は、2004年度の10万4979人から、2024年度には8万9445人になった。20年間で約15%の減少である。ただし、2024年度は前年度を約1.9%上回っている。
一方、習志野市が2016年にまとめた「JR津田沼駅周辺地域まちづくり検討方針」は、経済産業省の商業統計を基に、駅周辺地域の小売業の年間販売額が1994年から2007年にかけて半分以下になり、売場面積も大きく減ったと整理している。
二つの数字は対象も期間も異なるため、減少率を直接比べることはできない。また、販売額の減少には、買い物客の数だけでなく、買い物の頻度や1回あたりの支出の変化も関わる。それでも、駅が多くの利用者を抱える一方で、駅前の店が買い物を受け止める規模は大きく縮小してきたことがわかる。
つまり、津田沼の変化は、単に「人が来なくなった」という話ではない。駅を使う人がいても、その人が津田沼の店で買い物をするとは限らない。「人が集まる駅」であることが、かつてのような「買い物に人が集まる街」を支えるとは限らなくなったのである。
イオンだけに負けたわけではない
駅を使う人に、津田沼で買い物をしてもらう。その難しさは、1988年に撤退した髙島屋の例に表れていた。駅前に百貨店があっても、そこで買い物を済ませるとは限らなかった。
南口の洋菓子店「ラ・シェール」の店主は、津田沼の髙島屋は規模が小さく、百貨店で買い物をするなら日本橋へ向かう人が多かったと振り返る。近隣の船橋にも西武と東武があった。店主の見立てでは、駅前という立地だけでは、こうした百貨店との競争を勝ち抜けなかったのである。
撤退後、髙島屋とダイエーを二つの核としていたサンペデックには、ダイエーが運営するディスカウントストア「エキゾチックタウン」が入った。百貨店を失った施設は、ダイエー側がその売り場を引き受ける形へ変わった。
その後は、残った大型店を取り巻く条件も変わっていく。習志野市は、2016年3月にまとめた「JR津田沼駅周辺地域まちづくり検討方針」で、駅周辺の販売額減少の要因として、1996年の東葉高速鉄道開業に伴うJR津田沼駅と新津田沼駅の乗降客の減少や、幕張新都心・南船橋駅周辺の大型商業施設への消費者の流出を挙げている。
さらに同資料によると、駅周辺の商業施設が百貨店型からモール型への消費者の志向変化に対応できなくなったことや、ネットで買い物を済ませる人の増加も要因と考えられるとしている。
PARCOも、競合店の開業や増床が続くなかで2018年度から減損損失を計上。商業環境の変化と賃貸借契約の満了時期を踏まえて営業終了を決めた。駅前の大型店も、買い物先として選ばれ続けるとは限らなくなっていた。
2005年のダイエー閉店では、周辺商店にも影響が及んだ。「ラ・シェール」の店主は、次のように振り返る。
「ダイエーがなくなった瞬間」、それまで来ていた「ダイエー派」の客が来なくなったという。「わざわざ駅向こうとか、いろんなとこから来てた人たちが来なくなったから」と語る。

