大型店が集まる前から「遊び場」があった
大手各社の出店競争が本格化する前から、津田沼には人を集める商業施設があった。北口には1967年、地元資本による「サンポーショッピングセンター」が開業。キーテナントは扇屋津田沼店(のちの扇屋ジャスコ)だった。
北口で「珈琲豆のおおつか」を営んでおり、船橋市前原商店会の顧問を務めている大塚智明さんは、幼いころの記憶として、サンポーの屋上には子ども向けの遊具があり、歌手が来る催しもあったと話す。買い物と遊びが一つの建物に収まる場所は、「津田沼戦争」の前からあった。
「津田沼戦争」と呼ばれた大型店の出店競争が本格化したのは、1970年代後半だ。習志野市の資料も、同時期に大規模商業施設の開店が相次ぎ、大型店どうしの激しい競争は全国的にも有名になったと振り返っている。
1977年7月1日に津田沼PARCOが開業し、同年11月にはイトーヨーカドー津田沼店が続いた。翌78年2月23日には丸井津田沼店が開業。南口でも同年10月14日、髙島屋とダイエーを核とする「習志野サンペデック」が開業した。
「売上全国1位と3位」が競った駅前
「津田沼戦争」の主役は、パルコ・イトーヨーカドー・丸井・髙島屋・ダイエーだった。しかし、駅前で競ったのはこの5ブランドだけではない。
西友は1977年に開店し、85年に地下の食品売場を残して撤退。長崎屋津田沼店も1976年12月から78年8月末まで営業していた。このあおりは地元資本のサンポーにも及び、1978年に閉館した。業界誌『実業界』(1978年)では、船橋市の店舗との統合を目的としたスクラップ・アンド・ビルドの一環とされる一方、前年に開業したイトーヨーカドーの存在が閉館の決定打になったとも指摘されている。
競争の激しさを物語る数字がある。日経流通新聞が1990年8月25日付で報じた1989年度のスーパー売上高ランキング(店舗別)では、ダイエー津田沼店が279億8100万円で全国1位、イトーヨーカドー津田沼店が216億8400万円で3位だった。上位5店のうち2店が、津田沼の店舗だ。
日本経済新聞は2024年、イトーヨーカドー津田沼店が一時、ヨーカ堂の店舗の中で全国首位だったとも報じている。前者は業界全体の店舗別順位、後者はヨーカ堂社内の順位で、同じ「日本一」でも意味は異なる。津田沼は、全国屈指の売る力を持つスーパーが集まる街だったのだ。

