今年で47回目となる「24時間テレビ 愛は地球を救うのか?」(日本テレビ)が8月31日、9月1日に放送される。社会学者の太田省一さんは「24時間テレビは、46年前に放送された第1回という原点を改めて考えるべき時期にきているのではないか」という――。
「24時間テレビ 愛は地球を救う」大橋巨泉さん(左)と会見=1978(昭和53)年4月28日、東京都千代田区の日本テレビ
写真提供=共同通信社
「24時間テレビ 愛は地球を救う」大橋巨泉さん(左)と会見=1978(昭和53)年4月28日、東京都千代田区の日本テレビ

「テレビ局ごときが」と言われた第1回の『24時間テレビ』

8月31日(土)から9月1日(日)にかけて放送される日本テレビ『24時間テレビ』は、例年とは様子が違っている。系列局の不祥事を受け、大幅な見直しが進められているからだ。

タイトルの「愛は地球を救う」が「愛は地球を救うのか?」に変わったのもそのひとつ。では『24時間テレビ』とはそもそもどんな番組だったのか? 46年前の1978年に放送された第1回を振り返ってみたい。

「テレビ局ごときが格好をつけて福祉にかかわるのは生意気だと、しばらくは皮肉やら冷笑やらの声が聞こえてきました」(読売新聞芸能部編『テレビ番組の40年』)。

こう振り返るのは、『24時間テレビ』を企画し、総合プロデューサーを務めた都築忠彦である。

日本テレビにいた都築は、当時『11PM』の担当。『11PM』と言えば、深夜のお色気番組の草分けとして有名だ。ストリップ特集など女性のヌードが出てくることも珍しくなく、「俗悪番組」の代表として批判の的になることも多かった。また司会の大橋巨泉による麻雀や釣り、ゴルフのコーナーも人気で、深夜らしい軟派路線で人気を集めた。

伝説のお色気番組との意外な関係

だが『11PM』にはかなり硬派な一面もあった。ジャーナリスティックな視点から、徴用工問題や慰安婦問題、沖縄問題などを扱った特集を企画。そのすぐれた内容が認められ、賞を受賞したこともあった。ここでも、元々ジャーナリスト志望だった大橋巨泉が力を発揮した。

その根底には、「本音と建前を分けずに、同一次元で見つめる」(同書)という都築忠彦のポリシーがあった。高尚なものも低俗なものも関係なく同じ目線の高さで扱うというわけである。『24時間テレビ』のコンセプトも、それに沿ったものだった。

つまり、『24時間テレビ』は、「『11PM』の拡大版」(都築の言葉)だったのである。「感動ポルノ」と批判される近年の『24時間テレビ』とは、対照的な出発点だった。

こうして、「日本テレビ開局25周年記念特別番組 テレビ誕生25年スーパースペシャル」(テレビ本放送開始からちょうど25年の節目でもあった)と謳った『24時間テレビ』の制作は始まった。