1995年に始まった『ASAYAN』(テレビ東京)は、なぜヒットしたのか。社会学者の太田省一さんは「オーディションの様子をバラエティーではなく徹底的にドキュメンタリーとして見せたことが大きい。その手法は、つんく♂の掟破りのプロデュースと非常に相性が良く、モーニング娘。のヒットにつながった」という――。
モーニング娘。
写真提供=共同通信社
「モーニング娘。」、前列左から市井紗耶香、安倍なつみ、矢口真里、後列左から保田圭、飯田圭織、中沢裕子、石黒彩=1999年7月13日、東京・砧の東京メディアシティー

モーニング娘。のデビュー曲にあった苦労

K-POP人気もあり、オーディション番組が盛り上がっている。だが『スター誕生!』など、昔からオーディション番組はあった。なかでも、モーニング娘。(以下、モー娘。)を生んだテレビ東京の『ASAYAN』は有名だろう。そのオーディションは、実は従来にない“掟破り”の連続だった。中心人物はつんく♂。どこが画期的だったのか?

「あと5枚、4枚、3枚、……」とカウントダウンが始まる。そして「5万枚達成です」のアナウンスに号泣しながら肩を抱き合う中澤裕子、石黒彩、飯田圭織、安倍なつみ、福田明日香の5人。場所はナゴヤ球場だ。5人は詰めかけたスタンドのファンに向かって、「デビューの夢、叶えられてとてもうれしいです」など、口々に感謝の言葉を述べる。

「モーニング娘。のデビュー曲は?」と聞かれてすぐ「愛の種」と答えられるひとはかなりの通だろう。ただ正確には、メジャーデビュー前のインディーズシングル。作詞・作曲もこの時点ではつんく♂(表記としては「つんく」)ではない。

事の始まりは、『ASAYAN』のなかでつんく♂がモー娘。の5人に「『愛の種』を5日間で5万枚手売りせよ」という課題を与えたことだった。それができなければ、メジャーデビューさせないという。そして全国各地での運命の手売りが始まった。

モー娘。とシャ乱Qの共通点

大阪、福岡、札幌の3日間を終え、残り9533枚。そして4日目名古屋。前日の街頭PRではまったく反応がなく、しかもその夜はかなりの雨模様。さすがに不安になる5人だったが、祈りが通じたのか当日は快晴。多くのファンが集まり無事達成となったのだった。「いざとなったら学校辞めます」と悲壮な決意で臨んだメンバーもいたが、それが報われたかたちだった。

そして1998年1月につんく♂の作詞・作曲による「モーニングコーヒー」でメジャーデビュー。そこからヒットが続き、いきなり同年の『NHK紅白歌合戦』初出場。現在も続くモー娘。の歴史が始まる。

実はつんく♂が属するシャ乱Qにも、似たような経歴があった。頭角を現したのは、大阪のストリートライブ、いわゆる「城天」。その後コンテストで優勝したことをきっかけにメジャーデビューとなった。

つまり、つんく♂もまた、モー娘。と同様インディーズを経てメジャーデビューしたのだった。その点、両者にはエリートではないたたき上げ特有の“下剋上”感があった。