ファスナー業界で世界最大手のYKK(東京都千代田区)が、かつて「次に消えるのは自分たちかもしれない」と危機感を募らせたことがある。中国メーカーが急成長し、世界販売量が伸び悩んでいた2010年代初めのことだ。そこで掲げたのが「ハイエンドに逃げるな!」。高付加価値商品だけに活路を求めず、新興メーカーとの価格競争にも背を向けなかった。世界最大手は、どうやって新しい市場を切り開いてきたのか。ヒントになったのは、閉まらなくなった「社会の窓」だった。ジャーナリストの安井孝之さんが取材した――。

日本勢が高付加価値化する中、YKKは逆を選んだ

1990年代後半以降、日本の製造業は中国や韓国メーカーとの価格競争を避け、高付加価値品へ軸足を移していった。「安さでは勝負しない」という戦略だ。

ところが、ファスナー業界トップのYKKは逆だった。中国メーカーの台頭に危機感を募らせ、2012年ごろから社内で掲げたのは「ハイエンドに逃げるな!」。高付加価値品を守りながら、あえて低価格の巨大市場へ攻め込んだ。

YKKは現在、年間約100億本のファスナーを世界で販売する。その4分の1以上を占める最大市場が中国だ。中国勢との競争から逃げず、10年以上かけて低価格市場の開拓に取り組んできた。

「ハイエンドに逃げるな!」

YKKの大谷裕明会長は、10年前の2016年、副社長兼ファスニング事業本部長だった当時、筆者の取材にこう語っていた。YKKはすでにこの頃から、多くの日本メーカーとは逆に、低価格品が中心の「ボリュームゾーン」を取り戻そうとしていた。それから10年。その戦略がようやく実を結び始めている。

では、なぜYKKは、わざわざ価格競争の激しい市場へ戻ったのか。

「次に消えるのはYKKかもしれない」という危機感

大谷会長は1984年から約30年間、香港、中国に駐在し、中国ビジネスを長年見てきた。

YKK・大谷裕明会長
筆者撮影
YKK代表取締役会長・大谷裕明さん。1982年3月、吉田工業(現 YKK)入社。84年12月から2014年3月まで香港、中国で勤務。副社長・ファスニング事業本部長など経て、2017年4月に代表取締役社長。25年4月より現職

中国は2001年にWTO(世界貿易機関)に加盟し、本格的に世界市場に乗り出した。新興国も経済成長し、世界貿易は一気に拡大したが、YKKのファスナー販売本数は2010年半ばまで70億本台から80億本台のままで踊り場を迎えた。拡大するボリュームゾーン市場を中国などのメーカーに奪われていたのだ。

「中国に2000社もあるといわれるファスナーメーカーが束になって参入してきました」(大谷会長)

中国メーカーの動きに精通していた大谷会長は、市場変化の速さに身構えた。2012年ごろになると日本の本社でも吉田忠裕会長(当時、現相談役)が「ファスナー事業が危ない。中国などのアジア勢に負けてしまうのではないか」と危機感を募らせていた。

YKKが恐れたのは、かつて自分たちが欧米メーカーにしたことを、今度は中国勢からされることだった。

1934年創業のYKKが大きく成長したのは1960年代から70年代だ。1ドル=360円時代にファスナー事業を世界に広げていった。当時、欧米の競合メーカーは新興勢力だったYKKを「安かろう、悪かろうだ。欧米のブランドメーカーはYKKを使いはしない」と軽視していた。だがYKKは、すでに良いものを安く作れるようになり、欧米メーカーから市場を奪っていた。そして、多くの競合が姿を消した。

半世紀後、今度はYKK自身が同じ立場に立たされようとしていた。21世紀初頭のYKKの危機感は、歴史が繰り返されて、かつての欧米メーカーのような苦境に自社が陥るのではないかというものだった。