最高級ファスナーから「1000円ジーンズ」へ

「ハイエンドに逃げるな!」とは、高付加価値品を捨てるという意味ではない。イタリアのファッションブランド市場など、欧米メーカーの牙城を崩してきた高級ファスナー事業はもちろん死守する。一方、これから成長する新興国の巨大市場を中国などのメーカーに明け渡してしまえば、かつて欧米メーカーがたどった運命を、今度はYKK自身が歩むことになりかねない。

だからYKKは、高付加価値品と低価格品のどちらか一方を選ぶのではなく、両方を取りにいった。

その戦略を象徴するのが、現在の松嶋耕一社長のキャリアだ。松嶋社長は入社7年目の1998年にYKKイタリア社に赴任し、高級ブランド品向けの最高級ファスナー「EXCELLA」の立ち上げに参加した。当時は門前払いだった欧州の高級ブランド市場で、最高級ファスナーを売り込んだ。

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画像提供=YKK
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ところが、その後に松嶋氏が向き合ったのは、まったく性格の異なる市場だった。2006年にポーランド、2009年に中国・上海、13年からはインドネシア、バングラデシュと、新興国での勤務が続いた。欧州で最高級品を売っていた松嶋社長はその後、中国や東南アジアの新興メーカーと真正面から競うことになった。

YKKは2012年ごろから「ボリュームゾーン」を多くの人たちが使う「スタンダード(標準品)」と呼び、本格的な市場攻略に乗り出した。13年から始まる中期経営計画では、世界販売100億本という目標を掲げた。そして同年、インドネシアに赴任する松嶋社長に与えられたミッションが、BOP(Base of the Pyramid、低所得者層)市場の開拓だった。

最初に狙ったのは、インドで売られていた1本1000円ほどのジーンズだった。

「indios」という第2ブランドを付けたインド内需向けジーンズ(YKK資料から)
筆者撮影
「indios」という第2ブランドを付けたインド内需向けジーンズ(YKK資料から)

採用されるには「半値」が条件

「だれとBOPのプロジェクトをやるのですか?」

松嶋氏が上司に尋ねると「お前1人だ」が答えだった。さすがに1人では無理だと思いながら本社と掛け合い、数人のチームをつくった。狙うのは、ボリュームゾーンの中でもYKKがまったく手を出せていなかったインドやインドネシアなどの国内市場だ。まず松嶋社長たちはインドに何回も足を運び、市場を調べた。

YKK・松嶋耕一社長
筆者撮影
YKK社長の松嶋耕一さん。1991年4月にYKK入社。98年2月から2017年3月まで欧州、中国、アジアでの海外勤務。2017年4月、副社長・ファスニング事業本部長などを経て、25年4月より現職

そこで目を付けたのが、ジーンズだった。現地では粗悪なファスナーがついた商品が売られ、すぐに壊れて「社会の窓」が閉まらなくなることがあった。この不満を解決できれば、YKKにも勝機があるのではないかと考えた。

当時、インド国内の売れ筋だったジーンズは1本1000円ほど。月収1万〜2万円の中間層にとっては決して安い買い物ではない。しかし、その低価格のジーンズに使うには、YKKのファスナーは高すぎて使えない。現地のジーンズ縫製業者に採用してもらうにはファスナーの価格を従来の半額にする必要があった。