※本稿は黒田未来雄『羆追人たち』(山と溪谷社)の一部を再編集したものです。
店先でツキノワグマを飼っていた
秋辺デボの本名は、日出男だ。「ヒデ坊」という愛称が短くなり、いつしか周囲の皆が「デボ」と呼ぶようになった。
デボが生まれたのは、阿寒湖アイヌコタン(アイヌは人間、コタンは村という意味)と呼ばれる、アイヌ民芸品店や舞踊ステージが立ち並ぶ集落だった。そこではかつて、何軒もの家がツキノワグマやヒグマを飼っていた。
目的は、観光客の目を引いて土産物を買ってもらうことだった。本来、北海道にツキノワグマは生息していない。しかし、体重が400キロを超えることもあるヒグマに比べ、ツキノワグマは100キロ程度だ。
圧倒的に飼いやすいツキノワグマを選ぶ住民が多かった。値段は当時で30万円以上。今でいえば100万円を超える出費だが、皆クマを飼いたいという思いが強く、また客寄せ効果も抜群だったため、それだけの金額を支払う価値があったという。
デボの父親の今吉も民芸品店を営んでおり、店先でツキノワグマを飼っていた。デボの記憶にある最初のツキノワグマは、小学2年生のころにやってきた。
当時、クマの世話は子どもの仕事と決まっていたが、さすがにその歳では無理で、デボがクマを扱うことはなかった。クマが大きくなりすぎると店では面倒が見られなくなるため、1年ほどするとクマは業者に引き取られていった。動物園やクマ牧場に、再度売られるのだそうだ。
「真っ黒なものが、家の中に転がり込んできた」
今でもよく覚えているのは、小学5年生のときの思い出だ。夜、近所に住むおじさんが、焼酎の一升瓶を抱えて遊びにきた。父親と同年代の、飲み友達だった。閉まっている家の扉をガンガン叩き、「今吉、一杯飲もうや!」と大声で呼びかける。
父親は、デボに「開けてやれ」と命ずる。父親とおじさんは仲がいいはずなのに、飲み始めるとなぜか必ず喧嘩になる。だからおじさんを家に上げたくはない。しかし父親の命令には逆らえない。「しかたねぇなぁ」。デボが渋々とドアを開けた瞬間。
「真っ黒なものが、俺のことをドーンって突き飛ばして家の中に転がり込んできた。ナニかと思ってよく見てみたら、そのおじさんが飼ってるツキノワグマよ。3歳になってて、もうデッカイのさ。そんで、ウチの狭い6畳くらいの茶の間の中を、ドタドタドタッ! ドタドタドタッ! て走り回る。部屋を3周。アイツら、その場所を確かめるのに必ず3周するの。やー、ビックリしたのなんのって」

