86歳の現役罠猟師・原田勝男さんは2000年、シカを狩猟している最中に羆に襲われた。一命はとりとめたものの、頭部が原型をとどめていないほどのけがを負い、後遺症で左目を失明してしまう。だが、不思議とクマのことは恨んでいないという。クマに魅せられた人たちの証言を集めたノンフィクションから、原田さんとクマとの遭遇の顛末を紹介する――。

※本稿は黒田未来雄『羆追人たち』(山と溪谷社)の一部を再編集したものです。

左目から光が失われたワケ

「あのクマのことはね、決して恨んじゃいないよ」

ヒグマに襲撃されたときのことを聞くなり、老猟師は残された右目で遠くを見つめた。左側のまぶたは怪我の後遺症で垂れ下がり、完全に眼球を覆い隠している。彼の左目が開くことは、もうない。

原田勝男さん。手にしているのはヒグマの頭骨
原田勝男さん。手にしているのはヒグマの頭骨[ポートレート撮影=山田貞司 出所=『羆追人たち』(山と溪谷社)]

2000年11月1日。当時の猟期解禁日、原田勝男は狩猟仲間3名と共にエゾシカを狙って出猟した。場所は北海道東部、白糠町の国有林。自宅から車で6時間以上かかる。原田が暮らす道央の岩見沢市は、今よりシカの数が格段に少なかった。わざわざ道東まで遠征することに決めたのは、確実に獲物を仕留めたかったからだ。

午前6時過ぎ。日の出と同時にハンターたちは山に入った。歩きやすく、シカが多い尾根筋を他のメンバーに譲り、原田は1人で別の稜線を歩いていた。シカの狩猟経験や捕獲頭数は原田が抜きん出ており、この日は自分よりも友人たちにシカを獲ってほしいと思ったからだ。天候は晴れ。太陽の光はさしているが、風は冷たい。霜の降りた落ち葉を踏みしめながら、原田はゆっくりと歩を進めた。

日が完全に昇っても仲間からの無線連絡はなく、銃声が聞こえてくることもなかった。まだ誰もシカを見つけられていないのだろうか。「しっかりな、頑張ってくれよ」と心の中でつぶやく。

原田自身もシカの姿を見ないまま、やがて時間は昼近くになってしまった。「そろそろ飯にするわ」。

キツネでもシカでもない

原田は無線で仲間と連絡を取り合った。シカの目撃はあるものの、誰も発砲には至っていないようだ。

なかなか一筋縄ではいかない。眺めの良い高台で背負っていたリュックサックを下ろす。冷めたおにぎりをゆっくりと噛み締めながら、午後から獲物をどう追うか、頭の中で作戦を練った。

食事を終え、立ち上がった原田の目に、木々の間にうごめく黒い影が映った。向かいの斜面を、1頭の大きなオスジカがゆっくりと登っていたのだ。

「おっと、こんなところにいたんかい」

距離は100メートルを切っている。射撃の腕前には自信があった。確実に仕留められる獲物だ。

愛用のライフルに弾を込め、銃床にしっかりと頰付けをする。シカの姿をスコープの中心に捉えた。

なぜか、シカの動きは妙に緩慢だった。

「なんかおかしな動きだなあ、なんでだろう」

引き金に指をかけたまま観察していると、不意に背後で「ガサガサッ」という物音がした。その音に原田は妙な違和感を覚えた。

「キツネでもなく、シカでもないような……」

まさかと思って振り返ってみると、そこにいたのはヒグマだった。原田は目を疑った。そのエリアには何年も通ってきたが、一度もクマを見たことがない。だからヒグマがいない山だと思い込んでいたのだ。しかし、確かにヒグマは目の前にいた。距離はたったの5メートルほどしかなかった。