織田信長は天下統一を前に、本能寺の変で命を落とした。歴史小説家の伊東潤さんは「信長は多くの者に離反されたが、他責思考で反省することがなかった。その結果が本能寺の変であり、信長の横死は自業自得ともいえる」という――。

※本稿は、伊東潤『偉人・敗北からの教訓』(日本能率協会マネジメントセンター)の一部を再編集したものです。

狩野宗秀『織田信長像』
狩野宗秀『織田信長像』(画像=長興寺/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

戦い続けた男が掲げた「天下布武」

――信長といえば「天下布武」というビジョンが思い浮かびますが、この言葉の意味は何なのですか?

以前は「日本全土に武を行きわたらせる」すなわち「武によって天下を制す」と訳されてきましたが、今は「武」は武門による政権、すなわち室町幕府を意味し、天下は畿内を意味することから、「畿内に室町幕府の権威を行きわたらせる」という意味だとされています。

要は「武家政権によって世の安定を目指す」という穏当なものになっています。

また「布武」とは「戦をやめる」という意味で、「天下泰平の世を築く」という宣言だったという説もあります。

これを直訳すると、「天下に武力行使を禁じる」という意味になり、確かに統治者のマニフェストとしては理解できます。しかしそれが信長の行動と一致しておらず、従来のように「武によって天下を制す」と解釈した方が、しっくりくるのも事実です。

信長でも「全国統一」は難しかった

――本能寺の変がなかったら、信長は天下を統一していたと思いますか?

天下を畿内という意味だとすると、統一していた確率が高いと思いますが、天下を全国と解釈すると、寿命が尽きてしまった可能性が大です。

しかし、力づくでひれ伏させるのではなく、後の秀吉のように「臣従すればOK」とするなら間に合ったかもしれません。ただし信長は裏切られることが多かったので、一つの地域を平定すれば、それで安定的な織田領国になるわけではなく、傘下に収めた者たちが離反することも考えられるので、「モグラたたき」のような状況に陥ることも考えられます。