裏切られても自分を変えなかった結果

――先ほど信長はよく裏切られたと述べられましたが、どんな人に裏切られ、そこにはどんな原因があったのですか?

信長に属した、ないしは手を組んだ者たちの多くは、次々と反旗を翻しました。上洛後だけでも、浅井長政、足利義昭、本願寺、松永久秀、三好義継、富田長繁、荻野直正(赤井悪右衛門)、波多野秀治、内藤定政、別所長冶、荒木村重といった有名無名の者たちが、次々と離反していきました。その最たる者は明智光秀ですが、なぜ信長は裏切られ続けたのでしょうか。

そこには個々の状況による様々な理由がありますが、根本的には信長という人間を信頼できなかったからです。

これだけ多くの者たちに離反されなければ、信長の天下統一事業は順調に進んだはずです。

そして幾度となく裏切られても、その人間性を是正しなかったので、本能寺の変が起こります。ある意味、信長の横死は自業自得だったのです。

もし部下に「ガス抜き役」がいれば…

――信長は怒れば手がつけられなくなる人のように思えますが、裏切った荒木村重や松永弾正に対しては説得して翻意させようとしています。なぜでしょうか?

信長は感情的な反面、合理的で冷静な部分もあり、今は戦わない方がよいと思えば、妥協的な姿勢を示すこともありました。しかしそれはポーズだけで、決して許しませんでした。彼ら二人が和睦に応じても、いつか殺したはずです。それゆえ彼らは説得に応じなかったのです。

――信頼されずによく裏切られたのは、信長に何が欠けていたからでしょうか?

武士というのは自分の功績を過大評価しがちです。それゆえ恩賞を得ても手放しで喜ぶことは少なく、「こんなものか」と思うのが常です。そんな武士の特性を知った上で、うまく懐柔していくことが必要でした。

例えば佐久間信盛あたりをガス抜き役として尊重し、武士たちに「まあ、待ちなさい。機を見て私から信長様に取り計らうので」といったことを言わせればよかったのですが、そんな素振りは一切なく、傘下の国衆や同盟者たちのガスは貯まりっぱなしになりました。

『長篠合戦図屏風』(成瀬家本)より佐久間右衛門信成(盛)
『長篠合戦図屏風』(成瀬家本)より佐久間右衛門信成(盛)(画像=中央公論社/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons