作家・橘氏が考える「5%の困った人」とは
橘:リベラルな社会ではすべての個人が平等で、優劣はないことになっていますが、これは建前で、どんな組織にも「困った人」はいますよね。私は「5パーセント理論」というのを唱えていて、人口の5パーセントくらいは、近づくととんでもなくヒドい目にあうような人がいる。そういう「困った人」をいかに自分の人生から切り離すかで、幸福度は大きく変わってくると思います。
安藤:だけど、その5パーセント側にいた人は、どう生きていったらいいのでしょう。きっと本人も不幸なんですよね。芸術的才能とか特異な才能があって、そのパフォーマンスが売り物になれば、まだいいけれど。
橘:嫌な性格でもそれを上回る才能があれば我慢できるだろうけれど、その才能すらなかったら……。採用面接ではほとんど将来を予測できないようなので、どの会社にも必ずそういう人が入ってきます。
河田:先進企業で言われるニューロダイバーシティ(※)による多様性の尊重は建前で、企業が能力のある自閉症や精神疾患の人を雇うことで成果があがることを期待しています。本来は、本当に困っている人、悩んでいる人も含めてやっていきましょう、というものなのに。
※脳や神経、それに由来する個人レベルでの様々な特性の違い、およびそれらを多様性と捉えて相互に尊重し、それらの違いを社会の中で活かしていこうという考え方。
「自分らしく生きる」の呪い
橘:「障害があっても頑張っている人を支援しよう」というのは誰もが同意するでしょうが、逆に言うと「頑張れない人」や「頑張らない人」は支援の対象から切り捨てられてしまう。でも、これも本人の責任というよりも、そのような星の下に生まれてきたとしか言えないわけですよね。
河田:障害と認定されていない、普通の人でも遺伝的に「頑張れない」傾向を持つ人は多いはずで、その人たちへの対応は「頑張れ」では解決しないと思います。
橘:私はリベラルを「自分らしく生きることは素晴らしい」という価値観だと定義しているんですが、そうなるとリベラルは「自分らしく生きられない人はどうすればいいのか」というやっかいな問いを突きつけられることになる。「津久井やまゆり園事件」は優生思想というより、リベラルな社会が生み出した病理なんじゃないかと思います。
安藤:今はみんなそうですよね。どうやったら自分らしく生きられるか、それだけが重要だから、「自分らしく生きられない人は何のためにいるのか」というロジックに陥るんです。障害を抱えて寝たきりで、声をかけても反応しない人は、そこから外れてしまう。優生学というより、リベラル化の必然です。

