犯罪と遺伝子の関係

安藤:ただ、年を取れば自分自身がそっち側になるぞ、といつか気づく。多くは、それをやったら自分が殺される側に回ると察知して、そういう人も救われる社会のほうが全体としてハッピーだ、とイメージするようになります。それをイメージする想像力の問題です。想像力にも遺伝的個体差があるから難しいですが、少なくとも差別を正当化することは理論的にはできない。

河田:遺伝的変異の中でサイコパスや犯罪をしやすい人、協調性が低い人は絶対に現れます。それを「多様性として認めましょう」に含めるのかというと、そうはならないのではないでしょうか。

安藤:優生的にそういった人を排除しても、確率的に必ずまた出てきますね。

安藤氏
画像提供=河出書房新社
安藤氏。

河田:今の裁判では、精神疾患のために自分をコントロールできない場合、無罪になったり刑が軽減されたりします。でも実際には、悪意を抱くか、攻撃的になるか、衝動をコントロールできずに行動してしまうか、といった傾向は遺伝的変異の連続的なスペクトラムの上にあって、その人がもともと持っている遺伝子が影響している可能性は、かなり高いと思うんです。

だとすると、罰すべきかどうか。刑事責任を問ううえで遺伝的な側面をどこまで考慮すべきかは、改めて議論する必要があるのではないでしょうか。

人間はもともと利他的な存在なのか

橘:人文系のなかでは、利己性と利他性を対立させて、人間はもともと利他的な存在なのに、なんらかの悪(ネオリベやグローバル資本主義)によって利己性が前面に出るようになったという主張が人気ですが、これは進化学ではトンデモ理論になるんじゃないですか?

ドーキンスの「利己的な遺伝子」をもち出すまでもなく、利他的な個体が利己的な個体よりも多くの子孫を残して進化してきたというロジックは、かなり特殊なケースでなければ考えられない。社会的な動物が協力し合うのは、血縁淘汰(遺伝子を共有する血縁者の繁殖を助ける)、直接互恵性(返報性にもとづく利他行動)、間接互恵性(共同体内の評判を高める行動)などで生物学的に説明できますよね。

河田:「利己的な遺伝子」説が正しいかどうかはともかく、人間がもともと利己的な存在であったことは確かです。しかし、私は、他の動物ではみられない利他性を人間は進化させたと考えています。それは、人間が脳を進化させ、他人との関係に関わる認知能力を進化させたことと関係していると思います。

橘:人間の場合、利他的な集団は、利己的な個人ばかりが集まる集団よりも競争で優位だったという集団選択(群淘汰)の主張もありますが、この影響はどの程度大きいんですか。