日本各地に残る城には、それぞれ築かれた時代や土地に応じた工夫が凝らされている。なかには、一風変わった形や歴史を持つ城もある。偉人研究家で著述家の真山知幸さんの著書『ウソみたいだけど本当にあったへんな城』(彩図社)より、3つの城を紹介する――。(第1回)
家康が食中毒になった場所とされる城
田中城
上から見たらまん丸!武田信玄こだわりの設計
【◎所在地:静岡県藤枝市/◎主な城主:山県昌景/◎へんな城度:★★★★☆】
徳川家康が75歳で亡くなったのは、鯛の天ぷらを食べて食中毒になったから……そんな逸話を一度は、耳にしたことがあるだろう。問題となった鯛の天ぷらを家康が食べた場所が、藤枝市にある田中城だ。
そんな曰くつきの田中城は、もともと武田信玄が築いた城だった。しかし、信玄が病死して、跡を継いだ息子の勝頼が長篠の戦いで敗れると、駿河(静岡県)での支配力が低下。
徳川軍が天正10(1582)年2月20日から田中城の総攻撃を開始すると、3月1日に開城させられている。結果的に家康に奪われた田中城だが、武田軍の城兵はその攻撃をよくしのいだとも伝えられている。設計に特徴があった田中城でなければ、ただちに落とされていたかもしれない。
その特徴とはズバリ「丸いこと」だ。
敵の攻撃を凌ぐ、全国的にも珍しい形
田中城は、直径約600メートルの同心円を描く、全国的に珍しい円郭式の縄張(城の設計のこと)を持つ城となっている。
信玄はそれまで今川氏の支城であった徳之一色城を開城させると、重臣の馬場信房に命じて、この一風変わった田中城に改築させた。『甲陽軍鑑』の元亀元年正月の条に、次のように書かれている。
「藤枝のとくのいつしきあけてのく、是は堅固の地なりとて、馬場美濃守に被仰付、馬だしをとらせ、田中城と名付、暫番手持也」
堀をへだてて虎口(城の出入口)の外側に設けられた小さな曲輪のことを「馬出し」というが、信玄は半月型の「丸馬出し」を好み、この田中城でも用いられている。また、堀と土塁を半円形にした「三日月堀」も、信玄が築城した城にはよく使われている。
江戸の軍学者たちは「円形の得、角形の損」と書いているが、それより前から信玄は「円形は攻めにくい」と考えていたようだ。

![『[日本古城絵図] [第4帙 東海道之部(3)]』55 駿州田中城図,[江戸中期-末期] [写]. 国立国会図書館デジタルコレクション (参照 2026-09-04)](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/5/0/670wm/img_506a5bda91d2bb0b745e3cd56e68f516545210.jpg)
