丸紅・大本社長の「異色キャリア」
2026年2月、総合商社・丸紅の時価総額が10兆円を超えた。2025年4月時点での約4兆円から1年足らずで2.5倍に押し上げ、中期経営戦略で掲げた「2030年度までに10兆円超」という目標を4年以上も前倒しで達成した。現在では「時価総額で世界100位圏内」という次のゴールを掲げている。
同社の経営の指揮を執るのが、2025年4月に55歳で社長に就任した大本晶之氏だ。5大商社で最年少のトップは、異例の経歴の持ち主でもある。36歳で一度会社を辞めて戦略コンサルティングファームのマッキンゼー・アンド・カンパニーに転じ、わずか1年半で古巣に戻った。総合商社で“出戻り”の社長は例がない。
若き日の多くを過ごした電力事業や米国留学で培われた原点とは何か。なぜ、一度は丸紅を飛び出し、そして2年も経たずに戻ったのか――。大本社長の起伏にとんだ30代に迫る。
――大本社長は1992年の入社以来、重電機本部(現・電力・インフラサービス部門)で若き日のキャリアを歩んできました。30歳を迎えたときのことを振り返ってもらえますか。
30歳の頃は、トルコのイスタンブールにいました。1996年から5年間、日英トルコ合弁のガス火力発電のIPP(独立系発電事業)に携わっていました。
それまでの丸紅の電力ビジネスといえば、発電所の建設請負が中心でした。作り終え、お客様に引き渡した時点で仕事が完了する、いわば「モノ売り」です。
30代のはじまりはトルコで迎えた
IPPはその先が本番で、自分たちが出資して発電所を保有し、長期にわたって電気を売り続けることで投資を回収していく。発電事業をまるごと経営するわけです。
いわば、「モノ売り」から「投資」へ舵を切った、その1号案件が、このトルコのIPPでした。27歳で駐在を始めて、30歳の頃はちょうど事業が動き出したあたりです。
日英トルコの3社合弁で、日本人は私一人。イギリス人の上司とトルコ人の社長にレポートしながら、建設をマネージし、ガスを買い、ファイナンスを立て、電力を売る……それらを全部任せてもらいました。辞典のような分厚い契約書を読み込みながら、トルコ初のIPP売電決済システムの構築にも挑みました。
――この時期の駐在経験で得たものは何ですか。
ビジネスでいうと、IPPの前例がないトルコで先行者利益が取れたので、会社に大きな収益貢献を果たすことができたと自負しています。
加えて個人でいうと、この大型IPP事業という社内でも例のないプロジェクトの事業運営を、入社5年目から任せてもらえた経験が本当に大きかったですね。開発から建設、操業まで、一つの事業のライフサイクルを全部やり通すことができた。このIPPというドメイン(領域)に関しては「自分が丸紅の中でいちばん知っている」という自信が培われました。

