外資コンサルで20代の若手から「指導」

――順調にキャリアを歩む中、36歳で丸紅を退社。マッキンゼーに転じます。これにはどのような心境の変化があったのですか。

先にことわっておくと、会社に不満があったわけではありません。きっかけは、留学したHBSにありました。

クラスには舌を巻くような優秀な人たちがゴロゴロいました。自分では到底思いつかないアプローチで問題の整理をして、議論を一定の方向へ持っていく。その彼らの多くがマッキンゼー出身だったんです。私には「世界の最高峰」のような組織に見えた。人生、一度はその高みを目指してやってみようという思いが強かったんです。

ところが入ってみると、ここも想像以上に厳しかった。マッキンゼーでは問題解決のプロセスやフレームワークが標準化されていて、新卒で入社した若い社員は当たり前のように使いこなしている。中途で入った30代の自分には到底かないません。

当時、ペアを組んでいた20代半ばの同僚に「大本さん、これはこうするんですよ」と、意味合いの出し方から分析の出し方まで指導をされていました。

マッキンゼーで鍛えられた構造化・概念化のスキルは、大本氏の武器になった
撮影=門間新弥
マッキンゼーで鍛えられた構造化・概念化のスキルは、大本氏の武器になった

1年半で「出戻り」した本当の理由

――そういう局面で、謙虚に学ぶ姿勢があるかどうかは、人によって分かれると思います。大本社長はなぜそれができたのでしょうか。

自分で手を挙げて移った以上、謙虚に「自分の能力を上げに行こう」と決めていたんです。世の中には知らないことがたくさんあって、自分の人生の経験で知っている範囲なんてたかが知れている。その認識が、自分の根底にはずっとありました。だから、自分の過去の成功体験もプライドも一回捨てて、純粋に新しい環境に向き合い、適応しようとしていました。

――ところが一転、1年半後には38歳で再び丸紅に戻ります。当時の日本の大企業で“出戻り”は珍しかったと思いますが、この決断の背景には何があったのですか。

あるとき、クライアントである日系の素材メーカーの社長と中東を視察で回っていました。その道中で、同行していた若手幹部クラスの社員が「こんな中東なんかに当社が出る必要があるんですか?」と社長に“反論”しているのをたまたま耳にしました。マーケットの不確実性が高いとか、そもそも需要がないのではないか、とか。一見もっともらしい理由を並べています。

すると、その社長がこう切り返したんです。

「お前は何もわかっとらん。事業っちゅうのはな、多少の浮き沈みはあるけど、中長期的に見て辛抱していけば成功するもんなんや」

その言葉が、なぜか自分の胸に刺さったんです。