ネット業界再編の立役者が味わった「左遷」
「気が散っていましたね」――2026年6月にLINEヤフーの会長を退任した川邊健太郎氏は、30代の入り口をそんな言葉で表現する。学生起業家からヤフーに転じた後のキャリアは決して華々しいものではなかった。そこからYahoo!ニュースの「コメント改革」、GyaO(のちのGYAO)社長への抜擢、38歳でのヤフー副社長就任へと運命は一気に転がっていく。
のちに「日本最大のインターネット企業」のトップを務め、ZOZO買収、LINEとの経営統合などネット業界の再編を動かしてきた川邊氏。その経営者の礎が築かれた「30代の10年間」を振り返ってもらった。
――川邊さんは、1995年に学生起業した電脳隊(のちのP.I.M.)で、いち早く携帯電話向けのインターネットサービスを手がけました。その後、同社は2000年にヤフーに買収され、ご自身も同社に入社します。
社員番号は「302番」だったので、当時のヤフーはまだ300人くらいの所帯の会社でしたね。当時与えられた肩書きは「モバイル担当プロデューサー」。私自身、会社の売却という形でモバイル事業への道を絶たれたことに忸怩たる思いがあったので、「Yahoo!モバイル」を通じてその悲願を果たそうと意気込んでいました。
ところがその後、2005年に私はそのモバイル担当を外されてしまいます。
「川邊は気が散りすぎている」
――それはなぜですか。
一言でいうと「気が散っていた」からです。
当時のヤフーは、井上(雅博)社長のもと盤石なオペレーションの敷かれた「ちゃんとした会社」。ベンチャー時代と比べると、よくも悪くも「ゆとり」があったんです。「もっと働けるのに……」ともどかしく感じてしまう。エネルギーを持て余して、本業のほかにもさまざまな外部の勉強会や活動に首を突っ込んでいました。2003年には本業以外で「Yahoo!ボランティア」という新規事業も立ち上げました。
極めつきが2004年、近鉄とオリックスの合併に端を発する球界再編問題の際に、プロ野球の1リーグ構想を阻止する活動を会社とまったく関係ないところで仕掛けていた。まさに「気が散っていた」頂点ですよね。
一方、その時期は親会社のソフトバンクが2006年にボーダフォンを買収する前夜で、グループとしていよいよモバイルに本腰を入れようという矢先。ましてや、ソフトバンクを率いる孫正義さんは、新しい事業にはそれまでのことをすべて忘れて一点集中するタイプです。そんな孫さんと相対させるには「川邊は気が散りすぎている」と思われたんでしょうね。井上社長に「Yahoo!モバイルは別の者にリードを任せるから」と告げられてしまいました。ちょうど30歳くらいの頃です。

