「100億円の赤字会社」社長に抜擢され…

――2009年にはヤフーが買収したGyaOの社長に35歳で抜擢されます。久々に「経営者」の肩書きが付きましたね。

正直にいうと、当時の私はGyaOの買収に反対でした。既にYouTube、ニコニコ動画といった「Web2.0」(ユーザーがコンテンツを作り、双方向でやりとりする段階)の動画サービスが出ていて、テレビをWebに置き換えただけの「Web1.0」の動画サービスとは世代が3つくらい違っていた。「イケてないよな」という目で見ていました。

そしたら宮坂さんに呼び出され、「オレはYahoo!ショッピングに異動になるから、川邊がGyaOの社長をやってよ」と。「えっ?」ですよ。

その足でこんどは社長室に行ったら、井上社長から「遊んでばかりいないでそろそろ真面目に経営しろ」と怒られて。

メディア事業部のプロデューサーを2年ほどやって、Yahoo!ニュースというサービス自体も好きになっていたし、何しろすごく儲かっていた。「左遷」から一転、花形部署のプロデューサーになっていたんです。それが、井上社長の目には「アイツは遊んでばかりいる」と映ったんですかね。

就任が決まったのはその年の5月なのですが、実はゴールデンウィークにアマゾン川へ釣りに行く予定を立てていました。それまで仕事が忙しく、やっとまとまった休暇が取れたんです。ところが起業家仲間に「え、社長になったのにまだアマゾンに行こうとしてんの? ダメでしょ」と呆れられて。結局、その連休は千葉・白浜のリゾートマンションに一人でこもって3日間で「GyaOリバイバルプラン」を練りました。

GYAO社長時代の川邊氏。当時100億円規模だった赤字事業を2年で単年度黒字化に導く
写真提供=LINEヤフー
GYAO社長時代の川邊氏。当時100億円規模だった赤字事業を2年で単年度黒字化に導く

30代の仕事は「一日にして成らず」

――そこから、当時は100億円規模だった赤字事業を2年で単年度黒字化します。

いま振り返ると、その再建の過程で、メディア事業部での経験がすごく活かされました。

この頃、既存メディアの記者たちと頻繁に「勉強会」と称した飲み会を重ねていました。全国紙から女性週刊誌まで、いろんな人たちの話を聞いて、時には意見を戦わせた。そのことで相互の理解も深まったし、一定の信頼も築けていました。

のちにGyaOは、民放キー局5局すべてが出資する会社に生まれ変わります。それだけの呉越同舟のスクラム体制は、メディア事業部時代に築いた関係がなければ決して実現しなかったと思います。

この経験から実感するのですが、30代の仕事というのは「一日にして成らず」感がものすごくある。20代の仕事は、ゴールの見えるタスクを一個ずつ片づけていく。「一日にして成る」ことが多いんです。でも30代は違う。何年も前に取り組んだ経験が、巡りめぐって思わぬ形でつながり、自分を助けてくれるんです。