「友達」は多いほうがいいのか。哲学者の小島和男さんは「友達の有無や数は、その人の社会的価値を測るバロメーターではない」という――。

※本稿は、小島和男『生まれたくなんかなかったのに それでも生きるための哲学』(幻冬舎)の一部を再編集したものです。

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友達がいなくても問題ない

「友達、何人いる?」

この質問ほど、人を不安にさせるものはない。多ければ安心し、少なければ焦る。ゼロなら、何か自分に問題があるのではないかと疑い始める。

友達の数は、その人の社会的価値を測るバロメーターのように扱われている。友達が多い人は「コミュ力が高い」「人望がある」と評価され、少ない人は「暗い」「性格に問題がある」と見なされがちだ。学校では「みんな仲良く」と教えられ、友達ができないことは一種の失敗のように扱われる。

しかし、これは本当だろうか。友達が少ない人は、本当に劣った人間なのだろうか。結論から言えば、そんなことはない。友達がいないからといって、後ろめたく思う必要はまったくない。むしろ、友達の数で人の価値を測ろうとする発想自体が、根本的に間違っている。

『友だち幻想』という名著

社会学者の菅野仁は『友だち幻想:人と人の〈つながり〉を考える』(2008)という本の中で、現代人が抱える友人関係の問題を鋭く分析している。菅野によれば、私たちは「友だち幻想」に囚われている。「誰とでも仲良くなれる」「私を丸ごと受け入れてくれる人がきっといる」という幻想だ。しかし、現実には、世の中には合わない人が必ずいる。全員と仲良くなることなど不可能だ。

菅野は、他者とは「自分とは違う考え方や感じ方をする人間」だと定義する。どんなに気の合う、信頼できる、心を許せる人間でも、やはり自分とは違う価値観や感じ方を持っている「異質性を持った他者である」と意識することが、幻想から抜け出す第一歩だと言う。価値観が100%共有できるのだとしたら、それはもはや他者ではない。自分そのものか、自分の分身だ。

菅野は、「同質性」を前提とするムラ的な共同体の作法から脱却し、「並存性」へと発想を転換することを提案する。つまり、「みんな同じ」であることを求めるのではなく、異なる価値観を持つ者同士が、最低限のルールを共有しながら共存することを目指すべきだと。