子どもを持つのは当然のこと、良いことだと言われがちだが、本当にそうだろうか。哲学者の小島和男さんは「出生も人生も、必ずしも良いものとは限らない。一度は出生奨励主義(プロナタリズム)を疑ってみたほうがいい」という――。

※本稿は、小島和男『生まれたくなんかなかったのに それでも生きるための哲学』(幻冬舎)の一部を再編集したものです。

新生児の赤ちゃん
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子どもを持たないという選択

子どもを持たない人が増えている。国立社会保障・人口問題研究所の調査によれば、生涯未婚率(50歳時点で一度も結婚したことがない人の割合)は、男性で約3割、女性で約2割に達している。

結婚しても子どもを持たない夫婦も増えている。「DINKs」(Double Income No Kids)という言葉はすでに定着……の域を超え、その状況が普通になりすぎており、もはや死語だ。むしろ、生き方のスタンスや価値観を表す「チャイルドフリー」という言葉のほうが使われているように思われる。しかし、こうした変化を嘆く声は未だ多い。少子化が進めば社会保障制度を維持できなくなる、労働力が不足する、国力が衰退する……だから、もっと子どもを作るべきだ、と。

私はこうした議論に違和感を覚える。子どもを持つかどうかは、個人の人生における最も重要な決断の一つだ。それは社会の都合で左右されるべきではない。「子どもを作れ」「産め」という圧力に屈して子どもを作ったところで、その子どもが幸せになれる保証はない。むしろ、望まれずに生まれてきた子どもは、不幸になる可能性が高いという人が多いのではないだろうか。それも偏見な気がするけれど。

ここでは、子どもを持たないという決断について考えたい。それは決して「逃げ」や「わがまま」ではない。むしろ、真剣に人生と向き合った結果として、子どもを持たないという選択をする人がいる。その選択は、絶対に尊重されるべきだ。

家族や親戚、職場などからの圧力

子どもを持たない人は、さまざまな圧力にさらされる。家族や親戚からの圧力。「孫の顔が見たい」「いつ産むの?」「まだ間に合うわよ」。結婚すれば「子どもはまだ?」と聞かれ、子どもを持たないでいると「何か問題があるの?」と詮索される。悪気はないのかもしれないが、こうした言葉は当事者を深く傷つける。

職場での圧力。「子どもがいないと一人前じゃない」「子育ての苦労を知らないから」という空気。子どもがいない人は、暗黙のうちに「未熟な大人」として扱われることがある。逆に、子どもがいないことを理由に、残業や休日出勤を押しつけられることもある。

政策からの圧力。少子化対策の名のもとに、「産め」というメッセージが発信され続けている。出産や育児に対する経済的支援は充実してきたが、その裏には「支援するから産め」という含意がある。子どもを持たない人は、税金を納めているにもかかわらず、その恩恵を受けられない。

メディアや文化からの圧力。一昔前のドラマや映画では、子どもを持つことが「幸せのゴール」として描かれることが多い。子どもを持たない女性は、「キャリアウーマン」として描かれるか、「かわいそうな人」として描かれるか、どちらかになりがちだ。子どもを持たない男性は、そもそも存在しないかのように扱われる。