養子という倫理的に優れた選択肢
日本では、約3万2000人の子どもが児童養護施設や乳児院で生活している。親がいない子、親がいても一緒に暮らせない子。虐待、経済的困難、親の病気など、理由はさまざまだ。この子どもたちには、養育者が必要だ。家庭的な環境で育つことが、子どもの発達にとって重要であることは、多くの研究が示している。しかし、日本では養子縁組や里親制度の利用が、諸外国に比べて極めて少ない。
カリフォルニアの哲学者ティナ・ルッリは、「子どもがほしいなら、産むよりも養子を取ることを検討すべきだ」と論じている。すでに存在している、養育者を必要としている子どもがいる。その子どもたちを養育することは、新たに子どもを産むことよりも、倫理的に優れた選択ではないか。
私もこの議論に賛同する。3万2000人もの子どもが、家庭的な環境を必要としている。その現実を前にして、「自分の遺伝子を残したい」という理由で新たに子どもを産むことは、冷静に考えれば、それほど合理的な選択ではない。
もちろん、これは「産むな」という命令ではない。人間は完全に合理的には生きられない。感情や欲求に動かされるのが人間だ。「自分の子どもがほしい」という気持ちを、私は否定しない。ただ、これから子どもを持とうと考えている人には、養子という選択肢もあることを知っておいてほしい。そして、「自分の遺伝子を残すこと」が本当にそれほど重要なのか、一度立ち止まって考えてみてほしいのである。
子どもを持った人を責めない
ここまで読んで、すでに子どもを持っている人の中には、不快に感じた人もいるかもしれない。「自分は間違った選択をしたのか」「自分は責められているのか」と。断っておきたい。私は、すでに子どもを持った人を責めるつもりはまったくない。つもりがないからといって責められていると感じた人の気持ちが癒やされることはないので、基本的には、「つもりはない」みたいな弁明はしないほうがよろしいと思うが、事実として述べておく。
私は、「すでに子どもを作ってしまった親を責めることは不当である」と明言する。その理由はいくつかある。第一に、過去の決定を責めても、何も変わらない。子どもはすでに生まれている。その事実は変えられない。過去を責めることは、親を苦しめるだけで、子どものためにもならない。
第二に、ほとんどの親は、子どもの幸せを願って子どもを産んでいる。悪意を持って子どもを産む親はほとんどいないと思われる。子どもに苦しみを与えようと思って産む親は、まずいない。その善意は、尊重されるべきだろう。
第三に、「生まれてこないほうが良かった」という考え方は、まだ社会に浸透していない。ほとんどの人は、子どもを作ることは良いことだと信じている。その信念のもとで子どもを作った人を、後から責めるのは公平ではない。
私がこの章で述べているのは、「これから」の話だ。これから子どもを持とうと考えている人に対して、「本当にそれでいいのか、一度立ち止まって考えてみてほしい」と言っている。すでに子どもを持った人に対して、「あなたは間違っていた」と言いたいのではない。子どもを持った人には、その子どもを愛し、できる限り幸せにしてあげてほしい。それが、すでに生まれてきた子どもに対する、親の責任だ。

