岩手大学名誉教授の青井俊樹さんは、日本におけるヒグマの発信機(テレメトリー)調査の先駆者だ。1970年代、青井さんは外気温マイナス30℃、視界ゼロの地吹雪が吹きすさぶ過酷な環境でヒグマを追い続けた。10日間の追跡で、青井さんはついに日本で初めてヒグマの冬眠準備行動をとらえる。クマに魅せられた人たちの証言を集めたノンフィクションから、その執念の記録を紹介する――。

※本稿は黒田未来雄『羆追人たち』(山と溪谷社)の一部を再編集したものです。

マイナス30℃を下回る環境で…

「十六線小屋にはね、幽霊が出るっていわれてるんですよ。誰もいないはずなのに、2階から『ミシッ、ミシッ』って足音が聞こえてくるんです……」

十六線小屋とは、北海道大学天塩演習林(現在は研究林と名称が変わっている)に建てられたプレハブ小屋のことだ。研究調査に使われ、職員や学生が寝泊まりもしていた。外気温がマイナス30℃を下回る中、部屋の中では灯油ストーブが焚かれる。すると、寒暖の差により建物が軋む。

青井俊樹さん
青井俊樹さん[ポートレート撮影=山田貞司 出所=『羆追人たち』(山と溪谷社)]

科学者なので、超常現象であるはずはないことは頭では分かっている。しかし、寒風吹きすさぶ長く暗い冬の夜の間には、心細くもなる。いつしかその音が、幽霊の足音に聞こえてくることもあるのだそうだ。

天塩山地は、北緯45度付近に広がる日本最北の森林地帯だ。日本海からの海風を遮るものはなく、風速20メートルを超える風が直に山塊を襲う。極寒の地に降る雪はサラサラで、そっと息を吹きかけただけで舞い上がる。

低気圧が近づくと、その軽い雪が突風で飛ばされるのだからたまらない。猛烈な地吹雪が吹き荒れ、目の前は白一色となってしまう。1メートル先も見えない、いわゆる「ホワイトアウト」という状態だ。

車で走っていると、前の車のテールランプが見えなくなり、いつ追突するか分からない。徐々にどこが道路かも分からなくなってくるが、車を停めてしまうと、今度は後続車が追突してくる危険性がある。

進むことも止まることもできない中、祈るような気持ちでノロノロと車を走らせるしかない。

歩くのも困難を極める。まっすぐに立っていることなど到底できない。視界がゼロの中、姿勢を低くし、這うようにして進む。100メートルほど先の演習林事務所まで、毎日通い慣れた道を歩いているだけで「あやうく遭難しかけたこともあります」と青井は笑う。

大学院に落ちてクマ調査の道に

北海道大学に通う学生だった青井が、天塩演習林に初めて足を踏み入れたのは1974年のことだった。きっかけはあまり褒められたものではなかった。

「大学生活はクマ研一色でね。あまりに楽しすぎたんで、5年かけて卒業しました。その後大学院に進もうとしたら、試験に落ちてしまったんです。かといって就職するあてもなく、どうしようかとオロオロしていたところ、天塩演習林に勤めていた先輩が『こっちに来てヒグマの調査でもしないか?』って誘ってくれたんです」

その4年前に発足したクマ研は、主に北海道の中央部に位置する大雪山を拠点として、ヒグマの観察や調査を行っていた。しかし、より多角的な研究をするために、新たなフィールドを探していた。

当時、クマ研の代表をしていた青井は、同僚と共に天塩演習林でのヒグマの足跡やフンを探す調査を開始した。