NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」で山田涼介が演じる豊臣秀次(三好信吉)の最期は、どのようなものだったのか。歴史・文学研究家の福田智弘さんは「秀吉の後継者の地位にあったが、謀反の疑いをかけられ悲劇的な最期を迎える。背景には秀吉の“個人的な都合”がある」という――。

※本稿は、福田智弘『戦国きょうだいの日本史』(時事通信社)の一部を再編集したものです。

2025年8月1日、俳優・歌手の山田涼介さんが、東京ビッグサイト(東京)で開催された「第36回 日本ジュエリーベストドレッサー賞」に出席。
写真提供=Jun Sato/WireImage/ゲッティ/共同通信イメージズ
2025年8月1日、俳優・歌手の山田涼介さんが、東京ビッグサイト(東京)で開催された「第36回 日本ジュエリーベストドレッサー賞」に出席。

「豊臣兄弟」唯一の姉・ともの数奇な運命

兄妹などの近い親族同士は、互いに助け合うことでひとりでは出しえない力を発揮し、ともに出世を果たしていくものです。

しかし、時には後継者争いなどの対象となって激しく争い合い、悲惨な結果に陥ってしまうこともあります。

その両方、つまり、兄妹や親族であることの良い面と、悪い面とを極端な形で体験したのが、豊臣秀吉の姉・ともとその息子たちではないでしょうか。

秀吉や秀長の唯一の姉である「とも」ですが、その名は同時代の史料では確認できません。したがって本当の名前は不明なのですが、ここでは有名な「とも」で統一することとします。

ともは、秀吉よりも5つくらい年長とされ、同程度に低い身分であった弥助(弥介)という男と結ばれ、3人の男子に恵まれました。彼らは、やがて秀吉が武将として出世を果たすにつれ、叔父である秀吉に仕えるようになります。

天下人の後継者となった長男・秀次

特に長男・秀次(永禄11[1568]年?~文禄4[1595]年)は、天下人・秀吉の後継者ともいうべき地位にまで引き上げられました。当初は宮部氏や三好氏の養子となっていますが、その後、賤ケ岳の戦いや四国征伐などで功績を挙げたことから、近江国(滋賀県)八幡山城主となり、43万石の所領を持つ大大名となります。

秀吉が天下統一してからは尾張国(愛知県西部)清須城主となって100万石の知行を得ることとなりました。それどころか、天正19(1591)年に秀吉の実子・鶴松が夭折すると、秀吉が手にした関白の地位が秀次に譲られます。この時点では、秀吉の後継者の座を手にしたのは秀次であった、といってもよいでしょう。ともは摂政・関白の母を意味する「大政所」とも呼ばれるべき地位にいたということになります。

とも夫妻は基本、長男・秀次に従って暮らしていました。また、夫の弥助は秀次が三好氏の養子になったことで、自らも三好吉房を名乗り、武将として活動を始めます。秀次が尾張国で大きな所領を得ると、同じ尾張国内の犬山城に入っていますし、秀次の関白としての仕事が多忙になると、尾張国を治める仕事は、父である吉房(弥助)が代行して行うようになりました。