※本稿は、福田智弘『戦国きょうだいの日本史』(時事通信社)の一部を再編集したものです。
お市は本当に美しかったのか
有力な戦国武将の娘や姉妹たちは、武将同士が同盟を結ぶための証として政略結婚させられることがほとんどでした。そこに恋愛感情はなかったといってもよいでしょう。それどころか、ほとんどの場合、婚姻の時が初対面の場だったのです。
織田信長の妹とされるお市とお犬の場合もそうでした。年上とされるお市のほうから順に見ていくことにしましょう。
お市の嫁ぎ先は北近江(滋賀県北部)を治めている浅井長政でした。信長は、自身の本拠地である尾張の国(愛知県西部)と当時の日本の中心地である京とを結ぶ位置にある北近江を重視して、戦国一の美女ともいわれる妹のお市を浅井氏に嫁がせたわけです。
ところで、俗にお市は、「戦国一の美女」などといわれていますが、本当に美しかったのでしょうか?
筆者はそれが事実だと考えます。まず、肖像画はまるで日本人形のように美しく描かれています。これは娘の淀殿がお市の七回忌に描かせたものなので、よく似ていると考えられます。セットで描かれた夫・浅井長政の肖像があまりイケメンに描かれていないことからしても説得力が高まります。また、「(37歳の時)14~15歳も若く見えた」と書かれた史料も残っています。
夫の裏切りを小豆袋で信長に密告する
そんなとっておきの美女を嫁に出したにもかかわらず、浅井長政は信長を裏切ります。元亀元(1570)年、信長が越前国(福井県北東部)の朝倉氏征伐の兵を挙げた際に、朝倉と結んで信長を挟み撃ちにしようとしたのです。
その時、お市は両端を縄で結んだ小豆袋をひそかに信長のもとに送り、「兄上はこの小豆のように挟み撃ちに遭いますよ」と、暗号で知らせたという逸話が残っています。逸話の信ぴょう性には諸説あるのですが、このように、政略結婚で嫁いだ女性やその付き人たちは、いざという時に実家に危機などを知らせるスパイとしての役割などを帯びていた、といわれています。
お市の機転のおかげか、辛うじて危機を逃れた信長は、そののち朝倉氏や浅井氏の討伐に力を尽くしました。そしてついに、天正元(1573)年、浅井氏の居城・小谷城が落城します。その第一の功労者は豊臣秀吉だったといわれています。
落城に当たり、当主でありお市の夫である浅井長政は切腹して果てました。浅井氏はここに滅亡したのです。この時、お市はともに自害する気であったともいわれますが、ふたりの間に生まれた3人の娘・茶々、初、江が幼かったこともあってか、結局、娘を連れて織田家へと戻っています。

