ふたりの妹の子孫たちの「その後」
なぜ信長は、もはや落ち目となった室町幕府の重臣を、大切な妹を嫁にやるなどして丁重に扱ったのでしょうか?
実は、落ちぶれたとはいえ、室町幕府や将軍家、管領家のことを慕う武将たちが当時まだたくさんいました。彼らからすれば、信長は幕府を滅ぼした憎き敵です。そんな人々の心をなだめるために、幕府の中枢にいた管領・細川氏の人間を丁重に扱ったのではないか、といわれています。
細川氏のほうでも、権力者・信長の妹であるお犬を嫁として大切にしたのではないかと思われます。
ところが、天正10(1582)年、本能寺の変で兄・信長が亡くなると、そのわずか3カ月後にお犬も息を引き取りました。絶対権力者だった信長という後ろ盾を失い、心身に不調をきたしたのではないかともいわれています。
お市、お犬とも2度の政略結婚の末、不幸な最期を遂げてしまったのです。
お市もお犬も政略結婚だったとはいえ、夫婦仲はよかったといわれ、たくさんの子どもを儲けています。お犬に関しては、最初の夫・佐治為興との間にふたりの男子を産んでおり、そのひとりである佐治一成は、お市の娘・江の最初の夫となっています。また、ふたり目の夫・細川昭元との間には1男2女を儲けており、男子・元勝が父の跡を継ぎました。一方、女児のひとりは秋田実季という武将に嫁ぎ、その子孫は、三春藩(福島県三春町周辺)の大名となっています。


